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トレースはもはや「つみ」状態なのか  引用とオマージュと再構築の果てに浮かび上がった問題とは?小寺信良のIT大作戦(3/3 ページ)

» 2022年02月14日 10時53分 公開
[小寺信良ITmedia]
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問題の本質は何か

 古塔つみ氏の作品が「トレパク」であると炎上した背景には、その元となったと見られる写真や画像が大量に見つかったことがある。大量に見つかるということは、その写真や画像がすでにネット上に広く公開されたものであったということである。

 自分で撮影した写真には自分に著作権があり、そこからトレースすることは何も問題ない。むしろ写真を撮影する時点ですでに作品制作がスタートしているともいえる。だが既存の発表済みの写真や画像には著作権者がおり、利用するには、普通は許諾が必要になる。

 普通は、と書いたのは、二次創作の場合には許諾を取らずに制作してしまっている場合もかなりあるからである。そしてその二次創作作品はコミケなどで販売され、利益を得ることもある。

 こうした行為は、著作権法的には違法状態にあるが、著作権者が告訴しない限りは、刑罰が科せられない。こうした「違法だが訴えられていない」という隙間が、多くの制作者や新しい表現を生み出するつぼのようなものであるという認識が拡がりつつある。元の作品そのままを複製して利益を得るような海賊版行為は、2018年の著作権法改正により、著作権者でなくても告発できるようになった。

 二次創作とひとまとめにしているが、その内容はオマージュやパロディーであり、その作品の理解には、原作を知っていることや、原作が何かが分かることが重要となる。タイトルに原作名が織り込まれているものやそうでないものなどいろいろあるが、ポイントはその二次創作を「オリジナル」だとはうたっていないことにある。オリジナルだと主張した瞬間、それは盗用や剽窃ということになる。

3つの怒り

 古塔つみ氏の今回の騒動を観察していると、多くの人が感じている怒りには3種類あるように見える。

 1つは、トレースしたことに対する怒りだ。だがそれを本人が否定したことで、制作手法に対する不信感が増している、要するに「言ってることがウソだらけではないか」という怒りに変わってきている。これには本人が女性を名乗っているにもかかわらず、実際にはそうではないようだという情報も加わって、より大きくなっている。

 2つ目は、著作権法的に問題がある行為が放置されているのではないか、という怒りだ。法的にはそれがトレースなのか模写なのかは、大した問題ではない。ではどこが問題なのかというと、原作があるのにそれを示さず、曖昧にオリジナルのような扱いで作品を発表し続けたことだろう。

 氏の声明の中で「引用・オマージュ・再構築として制作した一部の作品を、権利者の許諾を得ずに投稿・販売してしまったことは事実」としているが、そもそも引用なら権利者の許諾は必要ない。ただ、引用元を示さなければならないし、どこが引用であるかを明確に分離する必要がある。加えて本編と引用部分が主従関係にあるなどの要件も満たさないので、氏の作品は引用ではない。

 オマージュであるならば、それは二次創作であり、原作への敬意がなければ成立しないわけだが、これも原作がなんなのかを示しておらず、「ただ描いただけ」でオマージュしました、はなかなか厳しいといわざるを得ない。

 再構築という定義は曖昧だが、それがコラージュ的な意味であるとするならば、これには既存の作品を素材として使用することは可能だ。だがこれには素材の解体が必要であり、できあがった作品全体としては素材とは別の文脈や意味合い、作品性を持つ、「表現の昇華」が求められる。

 つまり、権利者に許諾が必要な素材を用いていることは認めるものの、表現としては氏が主張するどれにも当てはまらないのではないか。「盗用の意図はございません」とも言うが、盗用は結果で評価されるだけであり、本人の意図は関係ない。

 問題を大きくしているのは、氏の作品のほとんどが人物画であることである。元となった写真には著作権があるのは当然だが、その被写体となった実在の人物には肖像権がある。日本においては肖像権としての明文規定はないが、判例では認められており、民法上の不法行為として損害賠償請求が可能である他、公表や使用の差し止めもあり得る。

 3つ目は、自分も絵を描くといったクリエイター畑の人たちがこの問題に対して感じている怒りだ。これは世間一般の人の怒りとはちょっと違っていて、元の写真などにあった「世界観を盗んだ」ことにあるのではないかと思う。

 例えば「金田のバイク」は、「AKIRA」の世界観を表現するアイコンであるため、これ一発あるだけでその背景にある作品世界を一気に展開する機能がある。人物写真にしても、その表情・髪型・ポーズ・衣装・陰影・色使いなどから醸し出される世界観がある。人物だけを切り取っても、それがなくなるわけではない。そこには、その世界を作るための創造の苦労や試行錯誤があり、研ぎ澄まされた感性が埋め込まれている。

 単にネットで探してきて切り取って画にしただけで、「自分の世界」として名声を得たことに対して、自分の表現や世界を手に入れようと長年苦労している人は、「こんなやり方で……」と納得できないのだろう。

 著作の世界は、オリジナル作品であっても、何からも影響を受けないわけではないし、発想や想像の元になったものがゼロという事も考えられない。ただその先、自分で作りながら走って行くうちに見えてくるものが、オリジナリティーになる。ただ、世の中にはそこまで待てない、結果だけ早く欲しいという人がたくさんおり、こうした手法はデジタルとインターネットの世の中、いくらでも可能である。

 今回の事件は、表現の中で「ん?」と引っ掛かった小骨を引っ張り出してみたら、体中の骨が出てきたような話だった。これはクリエイティブとは何かということを考えるよい機会でもあるし、ちょっと油断するとこういうことはこれまでも、これからもこんなことは山ほどあり得るという、試金石になったのではないかと思う。

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