ある雑誌のメタバース特集で記事を書いたのだが、「著者の写真の代わりに載せるので、アバターの画像をください」と言われた。
なるほど、そういうのはアリか……と思って画像を提供したのだが、そこでふと考えたことがある。これから先、われわれは自分の姿を他人にどう「見せて」いくのだろうか。
ビデオ会議やアバターの普及によって、見せ方は確実に多様化していくだろう。「人を自分に見せる」ことについて、ここで改めて考えてみたい。
この記事は、毎週月曜日に配信されているメールマガジン『小寺・西田の「マンデーランチビュッフェ」』から、一部を転載したものです。今回の記事は2022年2月7日に配信されたものです。メールマガジン購読(月額660円・税込)の申し込みはこちらから。
今さら説明するまでもないと思うが、アバターとは、サービス上で自分の姿を相手に指し示すための仕組みだ。
由来はヒンドゥー教で、ヴィシュヌの化身を指す「マハー・アヴァターラ」(偉大な化身)からきている、とされている。ファンタジーやSFが好きな層であれば大好物な題材・響きであり、フィクションへの引用からネットサービスへ……と使われていくのも理解しやすい。
筆者の知る限り、ネットサービスで最初に「アバター」という言葉を使ったのは、1986年に米LucasArtsがリリースした「Habitat」だといわれている。現在は米国のビデオゲームミュージアムである「The Museum of Art and Digital Entertainment」(The MADE)を介し、ソースコードなども公開されている。
初期のPCで自分の姿をリアルに描写することなど不可能なので、「このキャラクターを自分の化身とする」という見立てになるのは自然なことだったろう。実際、スタンドアロンのゲームはそうだったのだから。以来、すでに40年近い時間が経過したが、「アバター」という言葉はそのまま使われている。
ヴィシュヌは10のマハー・アヴァターラを持ち、それを使い分けていたとされる。インドの山奥で修業したヒーローは7つの化身だから、さすが神様はもっと多い。
まあそれはともかくとして、「アバター」は使い分けることが前提の言葉なのだ。ネットサービス上の「化身」の使われ方を考えると、これほどピッタリな言葉もない。
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