アバターがすでに定着した言葉であることが示すように、理想的なメタバースが実現しなくても、「アバターを使うという要素」は日常的に存在する。
その上で考えてみると、アバターには2つの要素がある、と定義できる。
1つ目は「アイデンディティ」。特定のコミュニティーの中で、他人から自分が「あなたである」と識別してもらうための要素だ。
主要なゲームプラットフォームは、自分のアイコンやアバターを登録できるようになっている。これは、それぞれのサービス上でのアイデンティティーを示すもの、といっていいだろう。
ただこの場合、アバターは「自分の化身のように動くもの」である必然性はない。名前よりも分かりやすい、文字より親しみを持てる、という部分があるからだ。
例えば、SNSのアイコンはどうだろう?
Twitterのアイコンは単なる画像だが、Twitterを通じてつながっている人同士であれば、他人を認識するための重要な情報になっている。筆者(西田)は取材中に撮影した写真(海洋研究開発機構のスーパーコンピュータである「地球シミュレータ」の初代)をアイコンとしているが、Twitterのフォロワーの方なら、私の顔写真よりもこちらの方が馴じみはあるだろう。アイコンを変えたら誰か分からなくなったという話もよく聞く。
現実世界で「人の顔」が自分のアイデンティティーであるように、ネットサービスにはそれぞれに合わせた「識別のための仕組み」がある。アイコンもアバターも、役割としては変わらない。
そして、もう1つの要素が「自分がなりたい自分」「自分が見せたい自分」という点である。
ネットワークRPGやVRChatのようなコミュニケーションサービスにおいては、自分の姿は自分で選ぶ。
男性がかわいいキャラクターを選んだとしても、それはいわゆる性自認とは関係なく、「かわいい自分を見たい」「かわいい自分を見せたい」というパターンがほとんどだ。逆に、かっこいい、美しい姿を選ばない場合もあるだろう。
ここで重要なのは、「自分が見せたい自分」とはなにか、ということだ。自分と全く違う姿を選ぶこともあれば、そうでない場合もある。「リアル系」と呼ばれるテイストのアバターであっても、自分に似た形を選ぶ場合、どこかに願望が入るものだ。
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