ゆかたん Web2.0の定義にある「根本的な信頼」って何でしょう? 今のインターネットにはあまりないもののような気も……。
けんすう まず、Web2.0以前は、ソフトウェアや書籍といった知財は守られ、開放されないのが常識、という前提がありました。
それがWeb2.0時代になると、ユーザーによる改変を歓迎するOSS(オープンソースソフトウェア)や、ユーザーが自由に書き込める「Wikipedia」が力を持つようになります。「クリエイティブ・コモンズ」(CC)ライセンスでルールを決めた上で、ユーザーに「根本的な信頼」を寄せることで、OSSやWikipediaが進化していった、というイメージですね。
ただ私は、「根本的な信頼」はあまり本質ではないと思っています。ユーザー参加を加速させる要因としてWikipediaとかOSSとかCCはありましたが、最終的にはプラットフォームがいろいろなものを独占して強大になっていったので。
ゆかたん 最近のネット上にはフェイクニュースとかデマとか詐欺とかいろいろあって、ネットへの信頼は縮小し続けている気もしますよね。
けんすう 正直、「根本的な信頼」は、ネットに参加者が少なかった時代には成り立つ、くらいの話なのかも……。「集合知」とかがもてはやされてた時代だったけど。
ゆかたん 集合知! 「たくさんの人の知性を集めて体系化すると、より優れた知性が現れる」という考え方ですね。Wikipediaが一つの例かな。集合知への期待は、一時的に高まったあと、すごいスピードで「がっかり」に落ちていった気がします。人が増えれば増えるほど、情報の質が低下していったような……。
2008年ぐらいかな。mixiが普及して、「ニコニコ動画」が流行していたころに、大きな変化があったように思うんですよね。
2000年前半までのインターネットは、アカデミアやWebエンジニアなど、PCに近いごく一部の、“かしこい”人たちによって構成されていて、居心地が良い空間だったんだけど、2008年ごろから、PCの普及率が上がるとともに、中川純一郎さんの言葉を借りると“バカと暇人”が参加するようになり、“ネットでお互いに貢献しよう”みたいな意識が希薄化してきたイメージがあって(参考リンク)。
けんすう 「かしこい人達が使ってたから居心地よかった」というよりも、おそらく、「同質性が高い人達が使ってたから揉め事の発生数が高く、また、その解決へのスムーズさが高かった」という感じなのかもしれませんね。
ゆかたん そうですね! 同質性。例えば、オタクコンテンツが必ず愛されたり(炎上したりしない)とか、プログラミングや科学、数学知識などが好まれる世界でしたね。
けんすう 一方で、みんなの意見を総合すると課題解決率はあがるのは事実らしいんです。「多様性の科学」(著:マシュー・サイド)という本にも書いてあるんですが。
私が考えるに、Web2.0でいわれてた信頼性の話というのは、「観点は多くあったほうが課題は解決する」ということだと思っていて。
ゆかたん 多様性があるグループだとそもそも話がまとまらないから、課題が解決するイメージがないなあ……予想がより正確になるイメージはありますが。
けんすう 多様性ある組織で議論すると話はまとまらないし、ストレスフルだけど、やってみると課題の正解率は高いらしい! 多様性が低く固まった組織だと、正解率は低いけど、回答への自信度は高くなるという研究が、「多様性の科学」に書かれていました。
ゆかたん なるほど。議論をうまくまとめることができれば、そうかも!
現実をきれいに反映するだけの多様性があれば、例えば投票率の予想なども的確になるはずですもんね。トランプ大統領が誕生した2016年の米大統領戦で、メディアの予想がめちゃ外れたのは、メディアにリベラルが多かったから、と言われていますよね。
けんすう そうですね。トランプ大統領を支持した層の人たちがメディアの中にもっといたら「いやいや、トランプ人気はすごいですよ」と言えたはずですね。
ゆかたん Web2.0時代には「予測市場」っていうのも流行りました。株式市場に似たイメージで、選挙やスポーツの試合の結果なんかを予測する。当たったり当たらなかったりしたけれども。
ゆかたん 2020年代前後、Twitterが普及して以降、ネット上で、ユーザー同士の分断が露わになったというイメージがあります。両極端な意見が目立つようになり、意見の衝突が増えたような……。
けんすう どちらかというと
(1)ユーザーの参加率があがった
(2)情報が多岐にわたるようになった
(3)それによって、情報量が圧倒的に増えた、そして見きれなくなった
(4)リコメンドやパーソナライズがだんだん発達していき、ほしい情報へアクセスしやすくなった
(5)特定のセグメントや趣味趣向で情報やユーザーが固まるようになった
(6)Web2.0の特徴の一つである「信頼性」……言い換えると、「多様な視点があるから、バランスが崩れなくて、正しい解答を導ける」という理想は、意外と起こらなかった
ということかもしれないですね。
インターネット上では、「フィルターバブル」と呼ばれるように「心地よい意見やみたい情報が自分に集まる仕組み」ができあがった結果、同じような意見を持つ人達で固まるようになっていった、というのはあるのではないかなと思っています。
一方で、「分断はおきていない」とも結構言われていて、大半の人は両論を見た上で、割とバランスよく意見を変えたりするという事実もあるらしいです。「分断が起きている」と認知はしやすいけど、それは極端な事例を見ているだけで、実際には多くの人はもっとバランスがよくて、柔軟に意見を変えたりしている、と。
ゆかたん そうなんですね! 見えるところで大声を出している人だけに注目すると、黙って見ているだけの人がどう判断しているのか、とらえられなくなってしまうね。サイレントマジョリティー。
けんすう これもWeb2.0的な世界観の問題の一つかもしれませんね。普通のこと、極端ではないことを投稿しても、情報量があまりに多い今だと見られづらくて、有名人や過激な意見のほうが注目されてしまうというのがあるので。
ゆかたん わたしはWeb2.0は「15年前ぐらいに流行って、終わったもの」というイメージでした。
けんすう 私は今に続く話だと思っていました。05年〜20年くらいの間の流れというか。
ゆかたん 確かに、今もだいたいWeb2.0の世界観ですよね。「信頼」の部分あたりがだいぶ怪しいけども。フェイクニュースとか、デマの拡散とか…………「多数の多様なユーザーが参加する」ことで、信頼性においては、むしろ悪くなった気もしますが。
けんすう 当時の理想論でいうと、「お互いを信頼し合うことでクオリティはあがっていく」みたいな気持ちがあったけど、今では、ユーザーを信頼する」というよりも、アルゴリズムが信頼性を調整する、という感じになっているかもですね。
ゆかたん そうですね。印象論だけで言うと、ユーザー同士は信頼していないようにも見えます。Twitterの炎上とか見てると、ユーザー同士の足の引っ張り合いが目立つような。
いや、目立たないだけで、信頼によって起きる良きできごとのほうが100倍多いような気もするんだけどもね。さきほどの分断の話でも同様ですが、ネガティブニュースや極端な話は、目立ちますし、報道されやすいですからね。
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