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最後に、日本ソフトバンクに出版事業部があった時代について話そうCloseBox(2/2 ページ)

» 2022年08月23日 18時00分 公開
[松尾公也ITmedia]
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MacUser創刊

 1993年、筆者はそのZiff-Davisの月刊誌であるMacUserの日本版を編集長として創刊することになった。当時はMac雑誌がたくさん存在した。老舗のMACLIFE、アスキーのMacPower、日経BPの日経MAC、技術評論社のMac Japan(Bros.も)、毎日コミュニケーションズのMac Fanといったところ以外にもあり、活況を呈していた。そこに割り込もうとする理由は1つ。広告が多く入ったからだ。特にMACLIFEは非常に分厚く、かなりの利益が出ると踏んで、上層部は創刊を決めたようだ。

 この頃の出版事業部は故・橋本五郎氏が率いていたが、その意思決定には孫社長が強い影響力を持っていた。部決と呼ばれる、本や雑誌の部数を決める重要な会議には孫社長が顔を出していた。

 Ziff-Davisつながりという意味では、MacUserだけでなくPC WEEKと同じく週刊タブロイドのMacWEEKのコンテンツも使うことができた。MacWEEKにはMac the Knifeという噂コーナーがあり、今でいうところのMacRumors、MACお宝鑑定団、Bloombergのマーク・ガーマン記者のように、Appleの噂情報を集めていた。そのためMacLEAKと呼ばれていたという話は、スティーブ・ジョブズにAppleを乗っ取られたことで知られるギル・アメリオの伝記に書かれている。

 MacUserは異能なメンバーが揃っており、創刊メンバーの中島昌彦副編集長はOh! PCから異動してきた、UNIXを操りネットワーク周りに詳しかった(彼は後にRBB Todayを立ち上げる)。MacUserは編集部内に別室のラボを設置し、そこで製品レビューやベンチなどを行っていた。これはZiff-Davisのやり方に倣ったものだ。そこに常駐していたのは、中島氏がOh! PCから引っ張ってきた、当時は学生だったライター陣。ラボ長の濱田宏貴氏はいつもここにいて、ベンチしたり記事を書いたり音楽を聞いたりしていた。ラボのメンバーは入れ替わりながらも彼は常にその中心に居てくれた。その彼も今はいない

 CD-ROMを毎号付録として付けるようにしたのはMacUserが最初期だったはずだ(最初とは言わない)。ただ、僕らがやろうとしていたのは、単にフリーウェアを収録することではなく、動画やコンテンツを自分たちで作って、紙のページ数制限をはみ出したものを作ろうというものだった。Macromedia Directorを扱える編集者が僕を含め5人くらいいて、それぞれが作ったコンテンツを持ち寄ってまとめる作業がとても楽しかったのを覚えている。そういえば、編集部を中心としたバンドを結成し、Mac業界のコンテストに出て原田永幸氏が率いる他は全員プロのジャズバンドWindows Breakersなどを下して優勝したこともあった。筆者と、プロのボーカルから転職してきた姉歯康氏によるツインボーカルハードロックバンド、Cheap Purpleだ。このバンドにデーモン小暮閣下が加わりトリプルボーカルもやった。まあ、楽しいことばかりだった。

 インターネット自体はそれ以前から使っていて、ソフトバンクの中の技術部門を率いていた影山工氏(Oh! PC、UNIX Userの編集長を歴任していた)が、PCからシリアルケーブルでアクセスしてターミナルでインターネットメールを読めるようにしたりしていた。

 しかし、当時、ワールドワイドウェブ(WWW)を知る人は社内でもほとんどいなかったと思う。

 WWWの話を最初に聞いたのは、創刊直後くらいの時期(おそらく1993年の年末か1994年アタマ)に富ヶ谷で開かれた、あるセミナーだった。プロジェクターに映された映像は、HyperCardライクなハイパーリンクベースのデモンストレーションを見せていた。デモしていたのは伊藤穰一氏。最初に会ったときはMacZoneというMac専門のコマースサービスの日本版をやっていたはずが、いきなりの展開で驚いたのを覚えている。

 伊藤穰一氏が率いるネオテニーには、ぼくの友人たちも加わり、新しいインターネットサービスをいくつも立ち上げることになるのだが、その話はまた別の機会に。

 そこから数年かけて、世の中はインターネット、Webの世界へと進んでいく。編集部でもMacをインターネットに接続し、Webブラウザを使うための記事を継続的に出していき、Webコンテンツもやり始めた。まだこの段階ではそこにこそ未来があるということを認識している人は少なかった。少なくとも出版事業部の中でそこを認識して積極的にメディアを立ち上げようとしていた編集者は片手の指で収まるくらいだったと記憶している。

 その中から生まれたのがヤフーであり、ZDNet(後のアイティメディア)だったというわけだ。筆者はMacUserが競合のMacworldに買収されたのをきっかけに(ZDNetがCNETに買収されたときの状況とよく似ている)、有料メルマガのMacintosh WIRE(MacWIRE)を立ち上げたりとかしたが(ロールモデルはもちろんインプレスのPC Watch)、広告ベースでビジネスをしようというZDNetに吸収されていく。今考えるとこの判断は卓見だった。Webでの情報を紙の媒体に落とし込んだ雑誌も生まれた。Yahoo!インターネットガイドやネットランナーがそうだ。

 ソフトバンクと電通が組んだ広告代理店のCCIや、デジタルガレージなど、ネット専業のプレイヤーが次々と生まれていった時期でもあった。

 その後の最近の(今世紀に入ってからの)ことはちょっと調べればだいたいネットに上がっているので省略。というか、そろそろ筆者の持ち時間も尽きようとしているのでこの辺で。またインターネットの海のどこかでお会いしましょう。

 MacUserの編集後記から続けてきたCloseBoxを名前につけた連載タイトルだが、CircleじゃなくてBoxなのは、昔のMac OSのウィンドウを閉じるボタンが四角形だったから。

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photo 筆者の最初のCloseBox(当時はClose Boxだったのだな)

 というわけで、連載CloseBoxをCloseします。ポチッ。

この辺の話をしながら、当時のオフィスがあった場所をロードバイク+Insta360 ONE X2で語り走りした動画
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