SaaSベンダーによる効率的な営業・マーケティング組織の形として注目を集める「The Model」。営業活動を細分化・分業化する仕組みで、導入している日本企業も多い。営業プロセスの再現性を高めやすくなる一方、分業によって各組織の連携が弱まり、効率化につながらないケースも見られる。
マニュアルの作成や活用を効率化するSaaS「Teachme Biz」を提供するスタディスト(東京都千代田区)も、同じ課題に悩んでいた企業の一つだ。「KPIがそれぞれの部署で最適化されて、真剣になればなるほど俯瞰的になれない状況だった」──同社の山下公平COOは問題についてこう振り返る。
そこで同社では2021年10月から、マーケター、インサイドセールス、フィールドセールス、カスタマーサクセスとして働く全従業員を対象に、業務のローテーション制度を開始。他部署の業務を理解し、状況の改善を図っている。
ただ、自部署から人材を引き抜かれる可能性があることから、社内から反対の声もあり、制度の実現に当たっては壁もあったという。施策が実現した背景や、現在の状況について、山下COOに聞いた。
スタディストは2010年創業。当初は個人向けにサービスを提供していたが、後に法人向けに一本化。以降は21年に約18億円を調達するなど、B2B SaaS企業として事業を続けている。
営業活動においてはThe Modelを採用している。The Modelは、営業活動を「マーケティング」「インサイドセールス」「フィールドセールス」「カスタマーサクセス」に分業。それぞれが自身の役割に責任を持つ仕組みだ。分野ごとにKPIを設定できるので、顧客の購買行動の変化に柔軟に対応しやすいなどの利点がある。
一方で、分業そのものが目的化してしまい、部門間での対立につながってしまうパターンも見られる。スタディストも同じような落とし穴にはまっていたと山下COO。「最適化された思考で動くので、真剣にやればやるほど自分たちのKPIばかり考えてしまう。私のようなポジションはデータを見ているので仲裁に入れるが、細かなこと全てに対応できず、課題になっていた」
そこで始めたのが、それぞれの役割の間で人材を行き来させるローテーション制度だ。候補は全ての営業人材。半年に1回ある人事異動のタイミングで、7〜10人程度を営業部署内の別チームに異動させる仕組みだ。
実際に誰を異動させるかや、異動先は人事とマネジャー両方が当事者から話を聞きつつ、本人のスキルなど適性を鑑みて決める。マネジャークラスの場合は後任の育成に掛かる時間も加味して半年程度、それ以外は数カ月かけて判断するという。人事評価の仕組みも調整。異動によって複数部門での業務を経験したことを評価できるようにした。
制度の成果について、評価制度の調整も相まって「異動後に成績がポンと上がり、そのまま昇進までした事例も出ている」と山下COO。例えばフィールドセールスからカスタマーサクセスに異動した結果、パフォーマンスが上がった社員がいたという。
これまで活動の認知度が低かった部署の影響力を高めることにもつながった。例えばスタディストではこれまで、カスタマーサクセス部門が手掛ける業務内容の認知度が低く、他の部署から「しっかり仕事をしているのか」と疑問を抱かれることがあったという。
原因は同社の「解約レポート」という仕組みだ。スタディストでは、ユーザーがサービスを解約した場合、Slackで報告し、マネジャーがそれを確認の上「OKです」などと返答している。実際には報告に至るまでの間に解約を防ぐ手を打っているが、Slack上には簡単なやりとりしか残らないので、他の営業から「何でそんな簡単に手放すんだ」と誤解されることがあったという。
「他の営業からすると、自分が取ってきた案件が1年後に『OKです』の一言で済まされると『大きな案件なのになぜ見送ってるんだ』などと思っていたらしい。実際にはカスタマーサクセスも手を打っていたが、細かく開示していなかった」
しかしローテーション制度によって、元カスタマーサクセスの人材が他部署に異動した結果、現場の感覚を共有でき、誤解が解けたという。
各部門間で、指標に対する“打率の感覚”を合わせる効果もあった。「例えばカスタマーサクセスの場合、ユーザーがサービスを使って立ち上がりたいといっているので、何かしらコンタクトして提案したときに刺さる可能性は8割を超えていると思う。一方でインサイドセールスやフィールドセールスは5割ですら難しい」
このような意識のズレを単一の部署だけで修正するのは難しい。しかし「メンバーをぐるぐる回すことで、ガラッと変わった」という。
ただ、実現に当たっては壁もあったと山下COO。最も大きかったのは、各部署の部長クラスから理解を得られなかったことだ。「エースを一人持っていかれるとなるとインパクトは大きい。この仕組みは優秀な人が異動する制度。短期的に見ると『部門の収益やKPIがへこむことを許容してくれ』といっているに等しい」。制度の理念には共感を得られたものの、実際に始めるには長期的な交渉が必要だったという。
実際、ローテーション制度で初めて異動することになった社員については、20年9月から1年かけて部長クラスと交渉したと山下COO。当初は20年10月の異動を計画していたものの「事前からある程度口出しはしていたが、現場の意見を取り入れて無理な異動はしなかった」。その代わり、以降は粘り強く長期的にコミュニケーションしたという。
「10人異動するとしたら30人くらいリストアップして、少しずつ狭めながら『最低減ここは異動してもらいたい』と長い目でコミュニケーションした」
しかし、実際に制度を開始してみると、想定したほど業績へのダメージが大きくないことが分かったという。「確かにへこむ部分もあるが、部長陣がイメージしていたような『100がゼロになる』ほどではなかった。フィールドセールスからカスタマーサクセスに移った人の例では、アップセルをどんどん取っていくことができたので、むしろプラスになった点もあった」
とはいえ、まだまだ課題も多いと山下COO。例えばローテーションによって、営業と顧客との関係がリセットされてしまう可能性がある点が課題という。特に懸念があるのはカスタマーサクセス。「カスタマーサクセスは長いリレーションの重要性が高い。現状では1年に2回程度、担当者が変わってしまう可能性がゼロではない。うまくバランスを取らなければいけないが、いまは解がない状況」
業績に制度の規模が左右される点も、今後改善したいという。「もう少しリスクを取った人事異動がしたい。実は、2022年は業績で高い目標を設定してたので、自分を含めリスクを取り切れなかった。部長陣に『人を出してください』とはいえない。もっと人材育成を意識して意思決定をしていかないといけない」
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