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「書店ゼロ」の市町村増加 “動画全盛”で、子どもの国語力はどうなる?小寺信良のIT大作戦(4/4 ページ)

» 2023年05月18日 10時00分 公開
[小寺信良ITmedia]
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未来の「文字」の使われどころ

 人類のコミュニケーションは、身振り手振りから始まって「言葉」へ到達した。言葉は、ライブパフォーマンスである。「古い言い伝え」などというように、記録媒体として文字が使われるようになるまでは、情報や物語は口伝という「ライブ」で伝えられた。

 だが考えてみれば、文字によって固定された情報や物語は、それを人が読んで脳で処理した時点で、ライブ情報に還元されたのだとも言える。江戸時代から明治初期までの読書は、一般的には「黙読」という習慣がなく、音読であったという。しかも1人ではなく、家族や友人らが集まって、字が読めるものが読み聞かせをするという読み方だった。本を1人で音読するようになったのは、活版印刷が発達して本が潤沢に出回り始めてからのことである。

 人のしゃべりを聞く、自分がしゃべって情報を伝えるというライブパフォーマンスがベーシックな情報伝達手段だとすれば、文字化するというのはエンコードだし、文章を読んで理解するというのはデコードである。我々は学習によってコーデックを脳内に内蔵するに至ったが、現代のテクノロジーを使えばコーデックで圧縮しなくてもRAWデータのままでやり取りできますよ、となれば、コーデックは使われなくなる。つまり、文章としてまとめなくてもよくなっている。

 デジタルネイティブな子どもたちは、デジタル機器を手にしたときからチャット形式の文字コミュニケーションが標準になっている。筆者が子どもの頃に比べれば、短文を作る量が破格に多い。そしてそれは、双方向性が強い。

 Twitterで見かけた話だが、今どきの学生は、先生に相談する際に一度に全部の情報を送って来ず、少しずつ小出しにしてくるという。つまり足りない情報があれば相手から聞いてくるはずという、常に言葉を返し合う「コミュニケーション」が前提となっている、という話だった。

 そんなやりとりでは効率が悪いに決まっているが、ChatGPTのような対話型AIの登場により、そんなに困らなくなる可能性が高まってきた。文章が書きたかったら、AIとチャットして必要な要素を引き出して貰い、「じゃあその情報をまとめて文章化して」というだけでそれなりの文章ができあがる。気軽に使える外部エンコーダが登場したら、苦労して自分の脳にコーデックを乗せなくてもよくなるわけである。

 とはいえ、文章で綴られた豊かな世界を知らないのは勿体ない。物語の何もかもが映画化・アニメ化されるわけではない。国語力云々という利益の話ではなく、文章が読めると世界がより広がるという話である。邦楽しか聞かない子に洋楽を勧めてくるめんどくさいオジサンと言ってることは変わらないが、いやほんと、有利だ不利だという話ではないのである。

 個人的な意見だが、子どもたちの文章離れを引き止めるには、動画コンテンツのノベライズに一縷の可能性が見えるように思える。動画やゲームは動的な時間の流れの中にあるものなので、留め置くことができないし、一定の時間で終わってしまう。その世界にもっと長期間滞在し、イメージを膨らませて楽しむために、活字で楽しむという方法論は受け入れやすいのではないだろうか。

 こうした活字離れを、単に本屋がなくなった、接触機会が減ったということではなく、文章世界全体の問題として、いつかできちんと前を向かないといけない時が来るんじゃないかと思っている。

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