このコーナーでは、2014年から先端テクノロジーの研究を論文単位で記事にしているWebメディア「Seamless」(シームレス)を主宰する山下裕毅氏が執筆。新規性の高い科学論文を山下氏がピックアップし、解説する。
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ペンシルベニア大学などに所属する研究者らが発表した論文「Information content of note transitions in the music of J. S. Bach」は、音楽作品を情報ネットワークへと変換し、作品が内包する情報量と伝達効率を調査した研究報告である。この研究では、バッハの楽曲を情報ネットワークとしてモデル化し、楽曲が持つ情報量とその情報をいかに効率よく伝達するかを定量的に評価する。
手法の第一歩として、楽曲の各音符をネットワーク上のノードとして捉え、音符間の遷移をエッジで結び付けている。このエッジは指向性を有し、一つの音符から次の音符への遷移を示す。さらに、エッジには重みが付与され、これは楽曲内での特定の音符遷移の発生頻度を示している。ネットワークをこのように構築することで、楽曲の構造を数学的に表現できる。
各楽曲のネットワークから、情報理論に基づいて「シャノンエントロピー」という指標を用いて情報量を計算している。シャノンエントロピーは、ネットワークが持つ情報量を定量化するものであり、エントロピーが高ければ楽曲が豊富な情報を含むと解釈できる。この指標を用いて、異なる楽曲形式を情報内容の観点から比較・分析している。
結果、教会などのより瞑想的な環境のために作曲された賛美歌「コラール」は、予測可能性が高く情報量が少ないため、エントロピーが低いことを示した。一方で、鍵盤楽器による楽曲「トッカータ」や「プレリュード(前奏曲)」などの聴衆を楽しませ驚かせることを目的とした作品は、複雑でエントロピーが高く情報量が多いことを示した。
さらに、研究チームは、人間の知覚プロセスを模倣したコンピュータモデルを用いて、聴取者が曲を聴いて情報のネットワークをどのように推測するかを調査。そして、実際の楽曲のネットワークと聴取者が推測するネットワークとの間の不一致を評価した。
その結果、バッハの楽曲で得られたネットワークと、推測したネットワークとの間の不一致が、ランダムに生成したネットワークよりも小さいことを発見した。
これはバッハの楽曲が聴取者の知覚システムにとって処理しやすく、音楽の流れや構造を追いやすいことを示し、つまり情報を効果的に伝達するための構造的特徴を持っていることを示唆している。
これらの分析により、バッハの作品は、情報量が豊富であるにもかかわらず、聴取者に対して効果的に情報を伝達し、予測可能で理解しやすい構造を持っていることが明らかになった。この研究結果は、バッハの音楽が単に美しいメロディや調和だけでなく、その背後にある情報理論的な構造によっても特徴づけられることを示した。
Source and Image Credits: Kulkarni, Suman and David, Sophia U. and Lynn, Christopher W. and Bassett, Dani S. Information content of note transitions in the music of J. S. Bach
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