このコーナーでは、2014年から先端テクノロジーの研究を論文単位で記事にしているWebメディア「Seamless」(シームレス)を主宰する山下裕毅氏が執筆。通常は新規性の高い科学論文を解説しているが、ここでは番外編として“ちょっと昔”に発表された個性的な科学論文を取り上げる。
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中国の北京大学と米ハーバード大学、米MITに所属する研究者らが2019年に発表した論文「The Impact of Media Censorship: 1984 or Brave New World?」は、中国の学生に検閲されていないVPN経由のインターネットアクセスを無料で提供した研究報告である。
中国のインターネット検閲(グレートファイアウォール)が市民の情報取得や意識にどのような影響を与えているかを明らかにするため、北京の大学生約1800人を対象とした大規模なフィールド実験を行った。研究者らは、参加者の一部に検閲されていないインターネットへのアクセスを18カ月間提供し、その影響を追跡した。
実験の結果、単に検閲されていないインターネットへのアクセスを提供するだけでは、学生たちの政治的に機密性の高い情報の取得にほとんど影響を与えないことが明らかになった。アクセス権を持った学生の約半数はツールを全く使用せず、使用した学生もほとんどが外国のニュースサイトを閲覧しなかった。この結果は、中国の若者が政治的に機密性の高い情報に対して低い需要を持っていることを示唆している。
しかし、外国の特定のニュースサイトにいかないと正解が分からないクイズに金銭がもらえるインセンティブを与えると状況は大きく変化した。学生たちは、クイズ期間中だけでなく、その後も継続的に政治的に機密性の高い情報を取得するようになった。
週ごとの平均総閲覧時間を示した図 青色のグラフは金銭的インセンティブを与えられていない学生、赤色のグラフが金銭的インセンティブを与えられた学生、灰色のグラフがニューヨーク・タイムズにおける政治的に敏感な記事の割合これは、学生たちの需要が本質的に低いわけではなく、むしろ検閲されていない情報の価値を過小評価していたことを示唆している。具体的には、ニューヨーク・タイムズの中国語版の閲覧時間が大幅に増加し、政治的に機密性の高いニュースが報じられた際には特に閲覧時間が増えた。
さらに、検閲されていない情報へのアクセスは、学生の知識や経済的信念、政治的態度、行動に広範かつ持続的な変化をもたらした。例えば、中国の経済成長に対してより悲観的になり、中国政府に対する信頼が低下。また、海外の大学院への進学を計画する学生が増加するなど、将来の計画にも影響が見られた。
実験では、情報の社会的な波及も観察できた。しかし、その程度は限定的であり、寮のルームメイト間での政治的に機密性の高い情報の伝達率は約11.8%にとどまった。この結果は、中国の検閲体制が、市民の検閲されていない情報への低い需要と、情報の限定的な社会的流布によって、かなりの数の市民が検閲されていないインターネットにアクセスできるようになっても、依然として効果を維持できる可能性を示唆している。
最後に、実験終了直前に18カ月間の無料サブスクリプションが終了することを学生に通知し、割引価格(月額4.5ドル)で同じVPNサービスを継続購入する機会を提供した。その結果、約23%が自費で加入。さらに、52%が実験終了後も何らかの形で検閲されていないインターネットへのアクセスを継続する意向を示した。
Source and Image Credits: Chen, Yuyu, and David Y. Yang. 2019. “The Impact of Media Censorship: 1984 or Brave New World?” American Economic Review, 109(6): 2294-2332.
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