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テレビが面白くなくなった理由は“コンプラ強化”? 業界とタレントの炎上70年史小寺信良のIT大作戦(1/3 ページ)

» 2025年01月16日 16時00分 公開
[小寺信良ITmedia]

 かつてテレビの世界において、人気タレントのスキャンダルはワイドショー番組の格好の題材であったが、昨今はスキャンダルを発端とする番組降板も珍しいものではなくなった。特に昨今の傾向は、1度のスキャンダルでテレビ復帰はほぼ絶望的といわれるほど、コンプライアンスが強化されている。

 許さないのは誰か、という話になるが、端的に言えば視聴者である。昔風に言えば「世間」という事になるが、昔の「世間」は具体的な力を持たなかった。だが現代の「世間」はネットで連帯し、番組やスポンサーへ対して圧力をかけるなど、具体的なアクションを起こせるようになっている。実際には「世間」の中のごく一部の人達ではあるのだが、テレビ局はとにかく、触らぬ神に祟りなしを決め込む傾向が強まっている。

 その一方で、1980年代からテレビ番組に関係している人からは、テレビはつまらなくなったという言葉が聞かれるようになって久しい。コンプライアンスが厳しすぎて、アレもダメ、これもダメでは、面白いものができないというわけである。

 テレビ番組のコンプライアンス強化はどのような経緯を辿ったのだろうか。

批判があっても過激化が進んだ60〜70年代

 60年代から70年代は、筆者が子供の頃である。当時子供達に大人気であった番組は、69年から85年まで続いた「8時だョ!全員集合」である。滑ったり転んだり、上からたらいが落ちてきたりと、体を張った「痛い」を笑いに変える手法でお茶の間を釘付けにした。もっとも釘付けになっているのは子供達ばかりで、親はいい顔をしなかったが、当時は圧倒的に子供の数が多い。

 一方大人を喜ばせたのは、プロレスやキックボクシング中継である。高度経済成長のまっただ中、凶器攻撃で反則を行なう外国人選手に対し、ルールを守って最後に大逆転で勝つ日本人選手の姿は、多くの大人に敗戦の痛みを忘れさせた。

 また深夜番組が登場し、そこはある程度お行儀が悪くても許されるといった雰囲気になっていた。65年から90年まで続いた「11PM」は、子供に見せたくない番組として常連となった。筆者も86年ごろ、ほんの一時期だけ番組編集に関わったことがあるが、制作会社はテレビでどこまでやれるのかのノウハウをかなり溜め込んでいた。自主規制ではあるが、一応やっちゃいけない線というのは存在したのである。

ワイドショーが時代を作った80年代

 80年代になると、お昼過ぎからスタートする情報番組「ワイドショー」が力を付けてきた。芸能週刊誌のようなゴシップ話をテレビでやることで、人気となっていった。当然その時間は子供達は学校に行っているので、大人が見る番組である。

 当時大きな社会問題となったのは、「薬害エイズ問題」である。エイズ(HIV)が最初に認識されたのは81年頃とされているが、そこから間もなくして血友病などの患者が治療に使用する非加熱血液製剤にHIVウイルスが混入したことで、大量の感染者を出した。

 この報道が加熱し、患者に対するプライバシー侵害や差別を助長するといった問題が指摘されはじめた。報道に対する姿勢が疑問視されはじめた事件である。

 さらにマスコミ取材の在り方が問題視された事件として、85年の「豊田商事会長刺殺事件」がある。今日明日にでも逮捕されるのではないかとして会長の自宅前を取材中の沢山のテレビクルーの前で、男性2名が自宅の窓ガラスを破って室内に侵入し、会長を殺害したのちまた窓から出てくるという一部始終を、テレビカメラはただ漫然と撮影した。

 当然この姿勢は、大きく批判されることになる。現場にいた記者やカメラマン全員が殺人ほう助で起訴されたが、のちに嫌疑不十分として不起訴となった。とはいえ、マスコミ関係者の人間性が疑問視される結果となった。

 その翌年、86年に起こったのが「フライデー襲撃事件」である。当時全盛であった写真週刊誌「フライデー」の編集部に、その取材方法を不服としたビートたけしおよびたけし軍団の一部が押しかけ、暴力事件を起こした。

 タレントの不祥事としては、珍しいタイプである。当時過激な取材方法が問題視されていたタイミングでもあり、フライデー側を非難する声も大きかった。テレビ番組とは直接の関係はないが、メインパーソナリティが謹慎したことにより、番組名の変更や番組主旨変更、終了などが行なわれた。

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