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「風の谷のナウシカ」のメーヴェは、どこへ行く? ラストフライトを終えた八谷和彦氏に聞く未来 【あさりよしとお著、まんが『無尾翼機のひみつ』公開中】(2/10 ページ)

» 2025年12月05日 12時14分 公開

 八谷氏が語るように、このプロジェクトは極めて“個人”に近い形で運営されてきた。スタッフは皆ボランティアであり、プロジェクトは完全に非営利。「お金が全く絡まないからこそ、純粋な情熱で手伝ってもらえた。これがお金を絡めていたら、また違っていたかもしれない」と振り返る。

観客が見守る中、離陸直前のM-02J
スモークを焚きながら飛行するM-02J

 そしてラストフライトを決断した理由について八谷氏は「辞める理由の一つは、免許返納に近い心境なんですよ」と表現した。

 1990年代に一世を風靡したメールソフト「PostPet」の開発者として知られる八谷氏は、開発メンバーと設立したペットワークスの取締役を務める傍ら、2010年から東京藝術大学で教鞭をとってきた。今年6月には任天堂の社外取締役に就任することも発表され、26年4月に大学院に新設される「ゲーム・インタラクティブアート専攻」の教員になることも決まっている。

 八谷氏は11月5日付のnoteに、こんなことを書いている。「このプロジェクトを始めてから『必ず守ろう』と思っていた事が一つあります。それはスタジオジブリや宮崎監督にご迷惑をかけないためにも『絶対に事故を起こさない』という事でした」。

 十分な準備ができないのなら続けられない。自身の年齢や体力も考えたとき、この唯一無二の機体を万が一にも壊すことなく、良い状態で次の世代に引き継ぎたい。その思いが、今回の「区切り」へとつながった。

未来へのフライト:「作る人を増やす」ステージへ

 ラストフライトを終えたM-02Jは、今後どうなるのか。八谷氏の頭の中には、すでに具体的な構想がいくつも描かれている。

 「まずは機体をもっと普通に見てもらえるようにしたい。アンケートとかとってみると『ジブリパークに入れて』とかの意見が多いけど、それは無理だと思うので(笑)。ただ愛知県にあるジブリパークに来た人が行きやすい場所はありかも、とかは思ってます」。

 機体制作の歴史や、大型スクリーンでのパイロット視点映像、フライトシミュレータで遊んだり、また年に数回はジェットエンジンをかけるイベントを行う。そんな「動態保存のミュージアム」の形を、八谷氏は一つの理想として考えている。

観客の上空を旋回するM-02J
無事にラストフライトを終え、安堵の表情を見せる八谷氏

 そして、彼の夢はさらにその先へと続く。

 「今まで自分が飛ぶことばっかりやってたから。これからは『作る人を増やす』『飛ぶ人を増やす』という活動にシフトしたいんです」。

 M-02Jの技術と精神を受け継いだ次世代の機体「M-03」を共に作り上げる仲間を探したい。また、その機体に乗れる若いパイロットも育てたい。そのためのプラットフォームとして、八谷氏は意外な場所にも期待を寄せている。「次のモビリティーショーには、ぜひ声がかかってほしいですね」。

 近年、自動車の祭典から、より広い“移動”の未来を提示する場へと変化している「Japan Mobility Show」。八谷氏が「パーソナルモビリティなんで本当に合う」と語るように、M-02Jはまさにその究極形の一つと言えるだろう。もし出展が実現すれば、多くの来場者や企業関係者の目に留まり、新たな展開が生まれるかもしれない。

フライト後、観客の質問に丁寧に答える八谷氏

終わりは、新たな始まり

 M-02Jのラストフライトは、決してプロジェクトの終わりではない。それは、八谷和彦という一人のアーティストの夢が、日本のものづくり文化や、多くの人々の空への憧れを乗せて、新たなステージへと飛び立つための、力強い助走だったのかもしれない。

 その翼が次に人々を魅了するのは、展示会場か、あるいは未来の若者の手の中か。OpenSkyプロジェクトの「第二章」から、ますます目が離せない。

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