八谷氏が語るように、このプロジェクトは極めて“個人”に近い形で運営されてきた。スタッフは皆ボランティアであり、プロジェクトは完全に非営利。「お金が全く絡まないからこそ、純粋な情熱で手伝ってもらえた。これがお金を絡めていたら、また違っていたかもしれない」と振り返る。
そしてラストフライトを決断した理由について八谷氏は「辞める理由の一つは、免許返納に近い心境なんですよ」と表現した。
1990年代に一世を風靡したメールソフト「PostPet」の開発者として知られる八谷氏は、開発メンバーと設立したペットワークスの取締役を務める傍ら、2010年から東京藝術大学で教鞭をとってきた。今年6月には任天堂の社外取締役に就任することも発表され、26年4月に大学院に新設される「ゲーム・インタラクティブアート専攻」の教員になることも決まっている。
八谷氏は11月5日付のnoteに、こんなことを書いている。「このプロジェクトを始めてから『必ず守ろう』と思っていた事が一つあります。それはスタジオジブリや宮崎監督にご迷惑をかけないためにも『絶対に事故を起こさない』という事でした」。
十分な準備ができないのなら続けられない。自身の年齢や体力も考えたとき、この唯一無二の機体を万が一にも壊すことなく、良い状態で次の世代に引き継ぎたい。その思いが、今回の「区切り」へとつながった。
ラストフライトを終えたM-02Jは、今後どうなるのか。八谷氏の頭の中には、すでに具体的な構想がいくつも描かれている。
「まずは機体をもっと普通に見てもらえるようにしたい。アンケートとかとってみると『ジブリパークに入れて』とかの意見が多いけど、それは無理だと思うので(笑)。ただ愛知県にあるジブリパークに来た人が行きやすい場所はありかも、とかは思ってます」。
機体制作の歴史や、大型スクリーンでのパイロット視点映像、フライトシミュレータで遊んだり、また年に数回はジェットエンジンをかけるイベントを行う。そんな「動態保存のミュージアム」の形を、八谷氏は一つの理想として考えている。
そして、彼の夢はさらにその先へと続く。
「今まで自分が飛ぶことばっかりやってたから。これからは『作る人を増やす』『飛ぶ人を増やす』という活動にシフトしたいんです」。
M-02Jの技術と精神を受け継いだ次世代の機体「M-03」を共に作り上げる仲間を探したい。また、その機体に乗れる若いパイロットも育てたい。そのためのプラットフォームとして、八谷氏は意外な場所にも期待を寄せている。「次のモビリティーショーには、ぜひ声がかかってほしいですね」。
近年、自動車の祭典から、より広い“移動”の未来を提示する場へと変化している「Japan Mobility Show」。八谷氏が「パーソナルモビリティなんで本当に合う」と語るように、M-02Jはまさにその究極形の一つと言えるだろう。もし出展が実現すれば、多くの来場者や企業関係者の目に留まり、新たな展開が生まれるかもしれない。
M-02Jのラストフライトは、決してプロジェクトの終わりではない。それは、八谷和彦という一人のアーティストの夢が、日本のものづくり文化や、多くの人々の空への憧れを乗せて、新たなステージへと飛び立つための、力強い助走だったのかもしれない。
その翼が次に人々を魅了するのは、展示会場か、あるいは未来の若者の手の中か。OpenSkyプロジェクトの「第二章」から、ますます目が離せない。
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