江戸時代に米沢街道の宿場の一つとして栄えたが、1888年(明治21年)の磐梯山噴火による土石流で河川がせき止められ、湖底に没した桧原宿(ひばらしゅく)──最新の研究により、その全貌と先人達の工夫が明らかになった。
海洋研究開発機構(JAMSTEC)など8者からなる研究チームは、船舶に搭載したソナー(音響測深機)から複数の音波を発射する高分解能マルチビームスキャナを用いて水底の地形や構造物を把握。水没した町並みを3次元的に復元することに成功した。
深度データからCS立体図(複雑な地形を一目で把握できる地形表現図法)を作成したところ、道路や水路、神社の参道とみられる線形構造が浮かび上がった。磐梯山噴火の前に作られた地図と比較するとそれぞれの位置関係などが一致した。
村落は、小規模な扇状地(沖積錐)の地形を巧みに利用していたことも分かった。住宅地は扇の端部、農作地は扇央部、水路は扇底部に配置され、湧水や伏流水を利用した利水システムを前提として設計されていたことがうかがえた。
研究チームは「当時の村落は自然の地形と地下水流動を理解したうえで、水資源を効率的に分配する土地利用と用水路網を構築していた可能性が高い」としている。これは歴史地理学および地形学の両分野において重要な成果で、現代の防災計画や土地利用計画にも示唆を与えるとしている。
今後は、水中発掘調査や埋没した構造物探査を組み合わせ、考古学的・地質学的な視点からより精緻に宿場町の景観を再現する考え。研究成果は学術誌「Journal of Cultural Heritage」に今月掲載された(DOI:10.1016/j.culher.2025.11.003)。
1888年の磐梯山噴火は、山体崩壊により477人もの犠牲者を出した近代以降では国内最大級といわれる火山災害だった。土石流が旧桧原川などを堰き止め、現在の桧原湖が形成された際、磐梯山の北側にあった桧原宿は湖底に沈んだ。
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