アップルが向かう先――WWDC 2011の基調講演に思うこと:WWDC 2011基調講演リポート(5)(3/3 ページ)
「Worldwide Developers Conference 2011」を現地で取材した林信行氏が、基調講演の発表内容を受けて感じた印象やアップルへの想いをつづる。「iCloud」はアップルが10年かけて実現した夢の始まりなのか。
10年かけて実現した夢
さて、今回のWWDCで筆者が感じたことがもう1つある。それはアップルの進んでいる方向が非常に正しいと思えた、というエピソードだ。
筆者は、1番自然と思える方向こそが、1番正しいと信じている。しかし、世の中、1番自然だと思うことを実行しようとしてもなかなか思い通りにはならず、結局、迂回(うかい)路を取ってしまうことが多い。しばらく回り道を進むうちに「これこそが未来への道筋だ」と勘違いをしてしまう人もいるが、アップルはきちんと元々進むべきだった道が何だったかを覚えていて、しばらく別の道を突き進んだ後でも、またいつか、そもそも進むべきだった道へと針路を戻し始める。
少し抽象的なので具体例を挙げよう。iCloudの登場によって消え去る運命となったMobileMeは、もともと「.Mac」と呼ばれていたが、実はそのさらに前には「iTools」と呼ばれていた。今からちょうど10年前に誕生したサービスだ(そう、これも2001年発表のサービスなのだ。「タイミングは偶然だ」とアップルは言うが、このぴったり10年で生まれ変わるサービスの多さは、決して偶然とは思えない)。
iToolsの機能の1つにインターネットストレージの「iDisk」というサービスがあり、これはその後、MobileMeまで引き継がれている。実はこのiDiskをマウントすると、シンプルであること何よりも大切にするアップルとしては非常に奇妙なことに、最初から「Music」「Pictures」「Documents」といったフォルダが用意されていた。「Music」の中にはフリーの音楽素材が置かれていたこともあったが、基本的にこれらのフォルダをどのように使うのかといった説明は、今まで1度もされていない。
だが、これを見た瞬間、筆者はある考えに思い至った。11年前、まだMac OS Xはリリースされていなかったが、Mac OS X ServerというサーバOSはすでにリリース済みで、そこでは「NetBoot」という機能が提供されていた。サーバ上にインストールされたOSから、ネットワーク経由でMacを起動するという機能で、日本でも多摩川学園の小学校や東京大学などが、この機能を目当てにしてMacを大量導入している。
これと同じ仕組みで、iDisk上のMusicに自分の音楽を、Picturesに自分の写真を入れておけば、例えマシンを乗り換えても、いずれiTunesや(当時はまだ出ていなかった)iPhotoで同じデータを利用できるようになるのではないか、それこそが正しい未来のあるべき姿だ、と筆者は思っていた。
実際そう考えたのは筆者だけではなく、当時、何人かのライターが残した文章にも同様の内容を見かけた。まだ、オラクルが提唱していたNetwork Computerという言葉が耳に残っていたことや、初期のMac OS Xに付属していた「Net Info」というアプリケーションをうまく使えば、実際に音楽用ディレクトリとして、ホームフォルダの外にある場所を指定できることも関係していたのかもしれない。
しかし実際には、iDisk上のMusicフォルダにiTunesの曲を貯めたり、PicturesフォルダをiPhotoのために利用することはおろか、Documentsフォルダを書類フォルダとして使うことすらままならなかった。理由2つある。1つはアップル側のサーバが貧弱だったこと、もう1つはインターネットの回線が遅かったことだ。
しかしそれから10年、時価総額で世界第2位となったアップルは、巨額を投じて巨大なデータセンターを建造し、「iCloud」というサービスのもと、この夢を元の進路に戻し始めたような気がしてならない。
回り道をしても、本来の道に戻るのがアップル
アップルが元の進路に戻った事例はこれだけではない。OS X Lionのフルスクリーン機能にも感慨深いものがある。
今から11年前、アップルは新世代OS「Mac OS X」への移行に先駆けて、開発途上版をMacworld EXPOやWorldwide Developers Conferenceで披露し、インターネット上での評判に注視していた。
2000年1月に披露されたMac OS X DP2と呼ばれるバージョンで、ジョブズ氏が自慢げに披露したのが「シングルウィンドウモード」という機能だった(YouTube動画で見ることができる。7分目辺りで紹介されている)。
初心者にとってファイルやフォルダの概念と同様に複雑なのが、画面がウィンドウだらけになってしまうことだ。PCに慣れたユーザーでも、ウィンドウを開き過ぎてしまうと気が散って作業に集中できない。そこで、Mac OS X DP2では、ウィンドウの右上に「シングルウィンドウモード」というボタンを用意した。このボタンを押すと、ほかのウィンドウがすべてドックの中に隠れ、同時に表示されるのは1つのアプリケーションの1つのウィンドウだけになる、というものだ。
それから1年後、2001年に発売されたMac OS Xの最初のバージョンでは、ユーザーのフィードバックを反映してこの機能は非搭載となったが、余計なものを排除した静かな画面でないと、本当にクリエイティブな作業はできない、というスティーブ・ジョブズ氏の思いはどこかでくすぶっていたのだろう。今回のOS X Lionでは、1つのウィンドウが画面を埋め尽くすフルスクリーン機能という形で、このシングルウィンドウ機能が戻ってきた(iPadから取り入れた機能として紹介されてはいるが、Mac OS X DP2を連想せずにはいられない)。
今現在、大成功を成し遂げているアップルも、これから先の10年の間には、おそらくいくつも失敗をしでかすだろう。しかし、そこで回り道を取ったからと言って、それがその試みの終わりではない。もしその目指す方向に、誰もが自然に感じる究極の答えがあると確信しているのならば、一時的にはその道を避けながらも、アップルはじっくりと時間をかけて、また元の道に戻ってくるはずだ。
iCloudの登場によって、アップルが生み出すまったく新しいコンピューティングの歴史が始まろうとしている。
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