アフターフォローの魔力感動のイルカ(1/2 ページ)

営業を続けられるか不安に思い始めたときに、上司の三善啓太が教えてくれたことは、実にシンプルだった。お客との出会いに感謝して、お客を本気で好きになれ。口下手の利点を生かして、いい聞き手になれ――。それだけだった。

» 2009年07月09日 14時08分 公開
[森川滋之,Business Media 誠]

前回までのあらすじ

 ビジネス小説「奇跡の無名人」シリーズ第3弾「感動のイルカ」は、アクティブトランスポートの代表取締役CEOである猪股浩行さんの実話に基づく物語。主人公の猪狩浩(いかり・ひろし)は、よく理解しないままフルコミッションのテレアポ営業の職に就いた

 しかしアポはまったく取れなかった。必死になる猪狩。営業を続けられるか不安に思い始めたときに、上司の三善啓太が教えてくれたことは、実にシンプルだった。お客との出会いに感謝して、お客を本気で好きになれ。口下手の利点を生かして、いい聞き手になれ――。それだけだった。


 どちらかと言うと人見知りだった。

 父親は新潟生まれだが、浩は東京育ちだった。それが小学校5年生のときに父が家業を継ぐために新潟に帰ることになった。子供は異質なモノが嫌いだ。転校した浩は、東京弁が生意気だと、クラスで無視された。それで人見知りになった。

 中学生になって多少友達ができたが、みんなで買い物に行ったりするのが苦手だった。マクドナルドでまともに注文できずに友達にからかわれた。

 高校に入って、バイクに夢中になった。暴走族というほどではないが、荒っぽいバイク仲間の一員になった。バイクに乗っている間は話をしなくていいというのが、その仲間に入った理由だ。ほかの連中も口下手なやつがほとんどだった。気に入らないことがあるとののしりあう代わりに、すぐに殴り合いになった。

 本当はシャイで気のいいやつがほとんどだった。世間から何か言われても言い返せないからバイクを飛ばして憂さを晴らす。それだけだったのに、世間からは不良と呼ばれた。

 浩の弟は、浩より年少のときに新潟に来たのがよかったのだろう、土地になじんでいた。友達もたくさんいたし、成績も良かった。浩は家に居づらかった。高校を卒業したら、すぐに上京したいと親にはいつも言っていた。親も正直安堵していたに違いない。どういうコネか分からないがとにかく入れる専門学校を探してくれた。

 なのに浩は、その専門学校のオリエンテーションを受けただけで、ここは自分の居場所じゃないと辞めてしまった。母親は泣いた。父親からは勘当同然にされた。きちんと自活できるようになるまで絶対に家に顔を出すなと言われたのだった。

 もちろん仕送りなどない。浩はとりあえずバイトで生計を立てるしかなかった。バイト先を転々としたが、いずれもほとんど人と口を利かないで済む職場ばかりだった。今の職場で営業をやっているのが、自分でも信じられない。

 営業を続けられるか不安に思い始めたときに、上司の三善啓太が教えてくれたことは、実にシンプルだった。

 お客との出会いに感謝して、お客を本気で好きになれ。

 口下手の利点を生かして、いい聞き手になれ。

 それだけだったが、今の浩にはそれしか財産がない。死ぬ気でその財産を活かそうと思った。

 浩は、最初のお客になってくれた日本××会社に立ち寄った。ちょうど商談で近所に来ていたからだ。

 「こんにちは、猪狩です」

 「あ、ちょうどいいタイミングで来たなあ。今、電話しようと思ってたんだ」

 「どうしました?」

 「このプリンタがさあ、急に動かなくなって」

 「どれどれ」

 確かに印刷ができない。浩は、車に戻って修理道具とマニュアルを持ってきた。30分ぐらいでプリンタは動くようになった。

 「いやあ、助かった。でも、なんで来たの?」

 「お売りしたお客様の様子を定期的におうかがいしようと思いまして」

 浩はちょっとだけウソをついた。でも、それはいいアイデアかもしれないと思った。

 「へえー。なんか暇そうだなあ。そういえば、うちのお客さんでOA機器が入り用と言ってた人がいたなあ。紹介してあげるよ」

 運が良かったとしか言いようがない。しかし、運は動いている者だけにやってくる。

 浩は、日本××会社でサプライ品などの注文ももらい、その後紹介された先に出向いて行った。ここでも商品の売り込みはせずに、ひたすら話を聞くことにした。多少ぎこちなかったが、精一杯の笑顔とうなづきを見せた。

 「ということで、いくらぐらいになるの?」

 「お客様のニーズだと、その商品をお買い求めになるより、こちらの機器のほうがランニングコストが下がるんじゃないかと思います。例えば……」

 浩は、手持ちのノートに計算式を書いて、お客に見せた。

 「ああ。なるほど。そっちのほうが全然安くなるんだ。最初はちょっと高いけど、そのほうがいいね。うん。ありがとう。それにする。見積もり出して」

 「ありがとうございます」

 浩は得意先リストを作ることにした。事務の女性に食事をおごって、売るだけ売ってアフターフォローをしない先輩たちの売り先を教えてもらった。すでに入っている先なので、新規先をテレアポで開拓するよりはるかに効率が良い。少なくとも行き先がなくて困ることはなくなった。

 得意先を5つのエリアに分けて、月曜から金曜まで順に回るようにした。いちおう口実はある。弊社の商品に不具合がないか定期的に訪問させてもらっていますと言えばよい。もちろん商談になるところばかりではない。商談になるほうがむしろ少ない。商談にならないときは、ねばらずに「また来ますね」とだけ言い残して、すぐに帰ることにした。

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