ケータイに受け継がれたDNA――ポケコン&PDAの過去と現在今日から使えるITトリビア

いまやケータイ全盛期。高機能化したケータイは単なる「電話」の域を超え、皆が利用する可搬型情報端末として受け入れられている。だがこの状況にいたるまでには、紆余曲折の歴史があった――。

» 2008年12月20日 23時10分 公開
[吉森ゆき,ITmedia]

現役だった! ポケットコンピュータ

 マイコンからパソコンへいつしか呼び名が変わった四半世紀前、コンピュータを持ち運んで使うことは夢のまた夢という時代のこと。電卓から発展してきたユニークなマシンがあった。「ポケットコンピュータ」、通称「ポケコン」だ。

 ポケコンといわれても、今は見たことも聞いたこともない人もいるだろう。もともと電卓から派生したものであり、各種関数の計算機能を備えていた「関数電卓」がさらに進化したコンピュータである。コンピュータと呼べる理由は、プログラミング機能。初期のポケコンは、4ビットまたは8ビットCPU、1Kバイトから2Kバイト程度のメモリしか備えていないという非力なマシンだったものの、BASICやマシン語を使ってプログラムできた。そのため当時は、プログラミング言語習得の入門機として重宝がられた。

いまだ“現役”のポケコン、シャープの「PC-G850V」 いまだ“現役”のポケコン、シャープの「PC-G850V」

 ポケコンが一般ユーザーにまで広く受け入れられたのは、カシオ計算機が1982年に「PB-100」を発売してから。カシオは1979年に「FX-501P/502P」という“プログラミング電卓”を発売していたが、これを元祖としている。PB-100は、ディスプレイが12ケタの1行表示で、メモリもわずか1Kバイト程度だったが、BASICによるプログラミングが可能で、標準価格が1万4800円という安さだったことから、特に学生に人気があった。

 PB-100に対抗する製品として存在していたのは、シャープの「PC-1200」だ。1980年に発売された「PC-1211」は、24ケタのディスプレイを搭載し、ポケコン的な横長スタイルの形状を確立したマシンだった(カシオのFX-501P/502Pは、縦長の“電卓っぽい”スタイルだった)。さらに、1982年に発売された「PC-1250」は、マシン語が扱ってディスプレイをドット単位で制御できるプログラムが組めるポケコンとして注目された。当時、カシオは初心者向け、シャープは中上級者向けという住み分けが、なんとなくできていた。

 当時のポケコンは、毎年のように進化を続けた。扱えるプログラミング言語も、BASICからCやCASL(情報処理技術者試験向けのアセンブリ言語)へと変化する。特に工業高校や理工系大学での教育用途に採用されたことで、ポケコンは非常に息の長い製品となった。一般向けの製品は1990年代後半には姿を消したが、シャープの「PC-G850V」のように、教育向けとして今でも現役の製品もある。

終息を向かえつつあるか? PDA市場

 技術系の人たちに使われたポケコンに対し、ほぼ同時期に一般ビジネスマンの間に広まったのが「電子手帳」である。その名のとおり、手帳に記すような住所録やメモの機能を持たせたデジタル機器だった。ポケコン同様に電卓から派生したものであり、1983年にカシオが「PF-8000」を、1984年にシャープが「PA-6000/PA-7000」を投入。その後は、ソニーや京セラ、キヤノンなど、多くのメーカーがこの分野に参入してきた。

 1990年代になると、電子手帳は多機能競争が本格化し、ペン入力、電子辞書やゲームなどの機能を備えたものへと変化。さらに、PCと互換性を持ったアプリケーションを内蔵し、PCと連携して利用可能なPDA(携帯情報端末)と価格面、機能面の差がなくなったことから、電子手帳は次第にPDAと同化していった。例えばシャープは電子手帳として発売していた「ザウルス」を徐々にPDAへと進化させていった。

 PDAメーカーだったPalmも、いまではケータイ(スマートフォンメーカー)として存在する。写真は米国の店舗 PDAメーカーだったPalmも、いまではケータイ(スマートフォンメーカー)として存在する。写真は米国の店舗

 一方のPDA(Personal Digital Assistant)は、1993年に発売されたアップルの「ニュートン」(製品の正式名称は「MessagePad」だった)が元祖。PDAという言葉自体も、当時のアップルCEO、ジョン・スカリーが名付けたもの。ただしニュートンはその大きさと価格、そして当時のハードウェア技術の限界といった要因から普及することなく、1996年に製造が中止された。PDAが一般に受け入れられるようになったのは、Palmが1996年に発売した「Palm Pilot」以降のことだろう。現在、Windows Mobileとして携帯電話に採用されるようになったWindows CEベースの「Pocket PC」が登場したのは、その少し後の1998年のことだ。

 当時、日本では前述のザウルスが電子手帳からPDAへと進化を果たし、この市場の牽引役を果たしてきた。といっても、ザウルスは同一アーキテクチャを貫いてきているわけではない。全盛期は、1996年に発売された「MI」シリーズ。32ビットCPUやカラー液晶を内蔵し、独自の“ZaurusOS”を搭載。アプリケーションも豊富に用意されていた。

 そのザウルスも、2000年以降は急速に進化を遂げた携帯電話端末に市場を奪われていく。2002年にLinuxとJavaをベースにした「SL」シリーズを投入したり、ザウルスをベースにPocket PCを採用したモデルを提供したりしたが、市場の縮小は免れず、2006年に発表した「SL-C3200」を最後に開発を終了。現在は生産も停止している。

 PDA自体も、今まさに携帯電話に飲み込まれようとしている。今年発売されたアップルの「iPhone」はPDAそのものだし、NTTドコモ、ソフトバンク、イー・モバイル、ウィルコムなどの携帯電話に採用されているWindows Mobileも、そもそもPDAであったPocket PCの発展形である。過去に存在した製品との決定的な違い(長所)は、「通信機能を内包していること」だといえるだろう。以前から電子手帳やPDAを使用していた先進的ユーザーが常に悩んでいたのは、どうやって外の世界と通信するか? だったのだから――。

 これから先わたしたちは、ケータイのどこに不満を感じ、そしてどのような方向へ進化させていくのだろうか。興味は尽きない。

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