コラム
» 2015年01月29日 18時33分 UPDATE

親しみやすい天才発明家――カシオ計算機創業者の素顔に触れられる「樫尾俊雄発明記念館」 (1/2)

小型電卓や電子楽器など、生涯で313の特許を取得し、カシオ計算機の礎を築いた樫尾俊雄氏。その功績をしのび、後世に伝える目的で設立された「樫尾俊雄発明記念館」を訪れた。

[渡辺まりか,ITmedia]

 伝記を読んでエジソンに憧れ、わずか6歳で発明家になることを志し、生涯中300以上の特許を取得した東京電機大学名誉博士 樫尾俊雄(以下、俊雄)。カシオ計算機創業者の1人だ。

 そんなエピソードを聞いてしまうと、神童が長じて天才になったような、雲の上の人という印象を持つかもしれない。

 しかし、本当にわたしたちと交わるところのないような人物だったのだろうか? 1月28日、東京・成城の閑静な住宅街にある「樫尾俊雄発明記念館」を訪問した際、意外な彼の素顔を垣間見ることができたので、館内の様子とともにリポートする。

楽器を上手に演奏したかった俊雄

 樫尾俊雄発明記念館(以下、記念館)は、俊雄が亡くなる直前まで実際に住んでいた家の一部を使い、彼の発明品の数々を展示した施設で、2013年6月に一般公開された。

 部屋には、展示されている発明品の種類によって名前が付けられており、入り口のある階に「発明の部屋」「数の部屋」、その下の階には「創造の部屋」「時の部屋」「音の部屋」がある。

 創造の部屋は俊雄の書斎だったという。机の上にはノート、鉛筆、消しゴム、発明を生み出した彼の残した手書きのメモなどが並び、生涯にわたり紙とペンを使って発明しつづけていたという逸話を裏付けている。

 生前、俊雄が書斎として使っていた「想像の部屋」。紙とペンを使って数々の発明を生み出していた

 音の部屋には、歴代の電子楽器「カシオトーン」やシンセサイザーを展示。カシオ初となる「カシオトーン 201」(1980年)では、独自技術「子音・母音システム」により、電子的な音ではなく、フルートやバイオリンなどさまざまな楽器の音色が本来持つ深みのある美しい音を再現できるようにした。

mwcasio010.jpgmwcasio011.jpg カシオ初の電子楽器「カシオトーン 201」。良い音を生み出すため、材質にこだわり、木製だ(写真=左)。ツマミ萌えにはたまらない(写真=右)

 そのほかにも、破格の1万6000円で販売された「SK-1」(1986年)から、各々のパーツが電子楽器1つ分の価格に相当するような「シンフォニートロン 8000」(1983年)など、大きさも価格もさまざまな電子楽器が並ぶ。ちなみに、SK-1はあらゆる音を取り込んで音源にできるというサンプリングキーボード。その価格のおかげもあって、販売数が100万台を超える大ヒット商品になった。

 お手軽サンプリングキーボード「SK-1」。価格は1万6000円だった
mwcasio004.jpgmwcasio006.jpg 「CZ-101」(1984年)(写真=左)と、その細部(写真=右)
mwcasio007.jpgmwcasio005.jpg LEDが光って次に弾く鍵盤を教えてくれる「カシオトーン 701」(1981年)(写真=左)と、その細部(写真=右)

 この部屋には、「いろいろな楽器の音で、だれでも弾けるように」という俊雄の願いが掲示されている。

 「いろいろな楽器の音で、だれでも弾けるように」

 実のところ俊雄は「オーケストラの少女」という映画を見てからクラシック音楽に興味を持ち、本格的に聞くようになったほか、自身でも演奏を試みるほどの音楽好きだったという。しかし、上達しなかったため断念。そこから「誰でも気軽に楽器が演奏できるように」と電子楽器の開発に着手することになり、こうして生み出されたのがさまざまな楽器の音色で演奏できる「カシオトーン 201」というわけだ。

 創造の部屋には音響効果を高めるため、大理石の壁、特別に取り寄せたじゅうたんが敷かれており、なんともぜいたくではあるが、電子楽器開発のきっかけが「演奏がうまくならなかったから」という理由だと知ると、何とも親しみが持てるのではないだろうか。

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