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まえがき 自分と同じものをつくりたい業(ごう)人とロボットの秘密

» 2009年05月15日 16時07分 公開
[堀田純司,ITmedia]

 ロボット工学を「究極の人間学」として問い直し、最前線の研究者6人にインタビューした書籍「人とロボットの秘密」(堀田純司著、講談社)を、連載形式で全文掲載します。


まえがき 自分と同じものをつくりたい業(ごう)

画像 表紙画 むらかわみちお

 人間の振る舞いを、機械でシミュレートする。人型の機械、ヒューマノイドの実現は、現代科学のロマンのひとつであり、前世紀より数多くの優れた才能が、このロマンに挑戦してきた。しかしその営みは、ほどなく壁にぶつかることになる。

 考えてみれば、人間をシミュレートするためには「そもそも人間がどのように動いているか」を理解している必要があった。その知識がないままに人間を再現しようとしても、できるはずがなかったのである。

 本書は日本が世界に先駆けてユニークな成果をあげている分野、ロボット工学を取り上げるルポルタージュだが、「科学の最先端をレポートする」といったテーマではない。そうではなく、最先端のロボット工学がつきつける「人間観」を主題にしている。

 機械で人間を再現するためには、そもそも人間がどんな原理で動いているのか、人の秘密を解き明している必要がある。

 そのため現代のロボット工学者は技術の専門家だけではなく、医学者や脳科学者、運動生理学者、あるいは芸術家や哲学者など、さまざまな人間の専門家と協同しながら、ロボット開発を行っている。

 そしてその成果は、この分野ならではの、意外で、面白い人間観をつきつけている。それは大胆であるだけではない。他分野の最新の知見にも合致するものだ。

 この本ではそうした、「究極の人間学」としてのロボット工学に迫り、この分野が提起する「人間の秘密」を主題とし、お伝えしたいと考えている。

画像 レオナルド・ダ・ヴィンチ ウィトルウィウス的人体図 古代ローマの建築家の理論に従い、人間の体が円と正方形におさまることを示した図。ヴェネツィア・アカデミア美術館所蔵

 人が両腕を広げた長さは身長と等しいことを示す裸像がある。この裸像を残したレオナルド・ダ・ヴィンチは、人間を描くために人間を研究し、研究するために人間を描いた人だった。彼の残した絵は美術史上の傑作として知られるが、彼の人体研究も精密を極め、自ら10あまりの人体の解剖を行ったという。

 レオナルドにとって、人間のあらゆる営みが謎だった。栄養はどのようにして血管に吸収されるのか。涙はどこから湧き出すのか。酩酊はいかにして起こるのか。尿はどこからくるのか。夢は。

 彼が書き残したテキストでは、腕を描くのならば骨を知り、筋肉を知り、それらの結合と分岐を知る必要がある。そして人の形を知るためには子宮や胎児、どのようにして人間がこの世に宿るかというところから、理解する必要があると記され、そして次のような言葉が語られている。

 われわれの造物主は、私がその形態を描くという方法で人間の性質、さらに進んでその風習も明らかならしめることを嘉(よみ)し給うに違いない。(杉浦明平訳)

 神さまは、レオナルドが人を描くことで人を明らかにすることを、きっとほめてくれるに違いないと。彼にとっては、人を描くことと、人を知ることは、同じ意味を持つ行為だった。

 自然科学として人を研究し、芸術として人を描いて確認するレオナルドのアプローチは、対象を理解するための方法が、観察し、分析するだけではないことを教えてくれる。「自分でその姿を写しとってみる」というアプローチもまた、対象を理解するために有効な手段となるのだ。

 レオナルドにとって魅力的な謎だった人間は、現代でもいまだに究極の謎である。そしてまた、医学や生理学や遺伝子工学など、さまざまな分野で「人間とはなにか」というミステリーを解き明かそうとする研究が行われている。

 本書はそうした中でも、かつてレオナルドが行ったアプローチ、「自分で描いて確かめる」という方法で人間を研究するユニークな分野を取り上げる。それは機械で人間のふるまいを再現しようとする分野。ロボット工学だ。

 かつて20世紀半ばには、ロボットの実現は難しいことではないと考えられていた。機械は生物よりも、はるかに強く、持続的で、精密だ。生物にできることが、そうした機械にできないはずはないと考えられていたのである。

 だから当時、機械で人間の行動を再現する試みは、「できるか、できないか」の問題ではなかった。「いつできるか」という、時間の問題だと考えられていた。

 しかしこうした楽観論は、ほどなく壁に突き当たることになる。よく考えてみれば、人間のふるまいを再現するためには、それがどのような原理で動いているか理解している必要があった。だが、いざつくってみようとしてはじめて、人は人間自身というこのいちばん身近な存在についてなにも知らなかったことを、思い知らされたのだ。

 たとえば1950年代からはじまった初期の人工知能の研究では、コンピューター上のプログラムで記号論理の操作を行い、人間の思考を模倣しようとする試みが行われた。閉じた箱の中に思考を宿らせようとするこの試みは、いわば、心と体は別々に存在するという、デカルト以来の心身二元論にもとづいていたといえる。しかしこれはうまくいかなかった。

 どうやら心と体は同じものの違う表現でしかなく、心がなければ体もない。そして体がなければ、心も生まれないらしいのだ。以降、人工知能の研究は、体をもった知能ロボットの開発へとシフトしていくことになる。

 おもしろいことに、日本人はこの分野で欧米とは異なる伝統をうち立て、その成果は日々、新しい人間観を提起している。

 たとえば、知能とは実体ではなく、コミュニケーションが行われている際に観察される?現象?であるという指摘。あるいは人間の意識は実はなにも決めていない。実は意識とは?結果?なのであるという意識のモデル。あるいは機械の中に、生物のDNAに相当するものを持たせようとする設計論。あるいは人間の情動を微分で記述してしまう方程式など。

 このようにロボット工学は、金属を素材とする“クール”な学問ではない。実は人間の血肉を「どうやればそれを自分たちで再現できるか」という究極のレベルまで探求しようとするライブな分野なのだ。

 本書は、このロボット工学が日々提起している「人間とはなにか」という問いを主題にし、最先端領域で研究を行っている人々に取材を行っている。そして「人間と機械の境界に存在する秘密」、無機物の特性、有機物の個性を問いかける。

 『鉄腕アトム』の生みの親である手塚治虫氏は、かつて自身が創造したアトムが、現実のロボット開発にヴィジョンを与えているのではないかと問われて、こう答えていた。

 「いや、そうじゃないと思いますね。もっと、なんか奥深いものじゃないか。本当に人間の業(ごう)みたいな気がするんですよね。自分と同じものをつくりたいとかね。同じことをやるものをつくりたい、という欲望は」(日本ロボット学会誌4巻3号収録 1986年)

 言葉を変えると、この本の主題は手塚氏のいう「奥深いもの」を追いかける人々の情熱である。

→次:第1章-1 哲学の子と科学の子

堀田純司

 ノンフィクションライター、編集者。1969年、大阪府大阪市生まれ。大阪桃山学院高校を中退後、上智大学文学部ドイツ文学科入学。在学中よりフリーとして働き始める。

 著書に日本のオタク文化に取材し、その深い掘り下げで注目を集めた「萌え萌えジャパン」(講談社)などがある。近刊は「自分でやってみた男」(同)。自分の好きな作品を自ら“やってみる”というネタ風の本書で“体験型”エンターテインメント紹介という独特の領域に踏み込む。


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