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閑話休題:オリンピックと現代版竜馬の在り処e-biz経営学

» 2004年09月14日 00時00分 公開
[住田潮,筑波大学]

 夏の間はオリンピック中毒に罹って寝不足が恒常化し、そうかと言って仕事が減る訳も無く、ついつい原稿が遅れてしまいました。申し訳ありません。今回は連載の内容を離れ、テレビの前で明け方までオリンピック観戦を続けながら考えたことについて書いてみます。次回から、国際化とIT革命に関する連載を再開することをお約束します。

 ぼく自身が10代から20代半ばまでバレーボールに打ち込んだ経験を有することもあり、オリンピックでの日本人選手の活躍には特別の思い入れを抱きました。金メダルを獲得した選手は勿論ですが、敗れてなお主将としての責務を果たすべく最後まで会場を飛び回って日本人選手の激励を続けた柔道の井上選手、男女サッカー、ソフトボール、野球、男子レスリング、陸上…。それぞれが過酷な準備と本番での試合に全力を尽くしたと思われ、各選手各様の清々しい姿が立派でした。

 大リーグで活躍するイチロー選手や松井選手、欧州サッカーで頑張る中田選手や小野選手もそうですが、スポーツの良さは、他者に邪魔されることなく、誰の目にも明らかな形で結果を示すことが可能となる点にあります。ひたむきに練習に打ち込み、勝っても敗れても結果を己れ一身に引き受ける潔さが、ぼくらを惹きつけます。本当は、どのような分野においても、そうした環境を保障することこそが競争原理を十全に機能させるための必要条件なのです。しかし、スポーツを離れると、自らのオーラを清々しく発散させる英傑はなかなか見当たりません。

 それでは、ビジネスや学問やその他の分野において、スポーツ界に見られるような世界的水準で通用する才能を持った人材は居ないのかと言えば、居るに決まっています。そう考える方が、統計学的に自然です。スポーツ以外の分野で才能溢れる英傑が見えてこない大きな理由の一つは、前述した競争原理を機能させるための必要条件が満たされていないからに違いない。オリンピックを観戦しながら、ぼくはこんなことに思いを巡らせていました。

 歴史を紐解くと、例えば幕末から明治維新に掛けて、幕府派にも維新派にも勝海舟、坂本竜馬、西郷隆盛、桂小五郎等、英雄が綺羅星の如く輝いています。また、終戦直後には、ぼくが複雑な思いを抱いてなお敬愛する中山素平氏のような肝っ玉の据わった日本人が現れています。当時35歳で日本興業銀行の若きバンカーであった中山氏は、マッカーサー率いる進駐軍がアメリカ的な直接金融制度の導入に拠って日本経済の再興を計画したとき、「国民が明日の食物を手に入れることに汲々としている焼け野原の日本で、例え株式を発行してもどれだけの産業資金が調達できるか。強行するとすれば、日本の経済復興は最初から外国資本に頼らざるを得ず、それは日本の独立性を保持する点で承服できない。薄く散在する民間資本を長期融資型銀行に集中し、間接金融制度を強化することによって社会戦略的に産業資本を整備して行くことこそが、敗戦国である日本の選ぶべき道である」と敢然と論争を挑んだ人物です。この論争は彼が2年間に亘ってGHQに通い詰める形で続きましたが、最終的にGHQを説得し、先ず、製鉄・石炭を中心とする基幹産業を興すことに国家的努力を傾注し、間接金融に基礎を置く戦後復興の第一歩が踏み出されたのでした。中山氏の「無私の心で潔く」という教えは、現在でもぼくの座右の銘です。

 封建制度が崩壊し明治政府が樹立されるまでの激動期や敗戦直後の混乱期に共通することは、日本の社会システム全体が危機的状況にあり、国民誰もが濃淡の差こそあれその事実を認識していたという点にあります。そうした状況においては、経験の蓄積が新たな道を拓く原動力とは成り得ません。長期的視野に立って問題を深く考え、理念の旗を高く掲げて敢然と実践に取り組んだ青年たちがその重責を担い、頭角を現すことになったのだと思います。社会システムの崩壊的状況が、誰の目にも分かる形で行動と結果を明らかにする作用をもたらし、スポーツの世界と同じように数多の英傑を輩出したのです。「時代が突然変異的に英雄を生み出した」のではなく、「時代が常在する才能を顕在化させた」、とぼくは考えます。

 日本では、社会システム全体の崩壊的危機が陽に見えてこないと、青年層が突出してリーダーシップを握ることは難しいようです。山一證券、日本長期信用銀行、日本債権信用銀行等の破綻を調べて見ると、そのことが良く分かります。こうした金融機関に共通することは、1)近い将来、地価や株価は回復するという経営陣の根拠のない楽観主義、2)土地バブルを中心に発生した不良債権の処理を、地価・株価の回復時点まで先送りするという決断、3)本体の財務内容を悪化させないような飛ばしの“工夫”によって先送りの事実を隠す、という3点に集約されます。更に、経営陣が飛ばしの全体像を内部的にも徹底して隠したことが事態を破綻にまで導いた原因です。ある日、経営陣に呼ばれて「君をトップに抜擢する」と申し渡され、そこで初めて飛ばしの詳細を知り、その額の巨大さに愕然とします。ここで、抜擢された人物の採り得る方策は、全てを公表し前任者を背任罪で刑事告発するか、自分の在位期間も隠し続けるか、の二つだけです。日本人にとって抜擢してくれた前任者を刑事告発することは至難で、結局、後者を選ぶ過程をずるずると繰り返すことによって破綻にまで至ったということです。破綻はどこかの時点で経営陣によって自覚された筈ですが、最後まで、「思い切った青年層の登用によって抜本的な問題解決の道を切り拓く他に道なし」という危機としては認識されなかったということです。

 現在でも、現代版竜馬は社会のあちこちに隠れていると思います。破綻した金融機関でも、歯軋りする思いで倒れて行った青年たちが数多く居たに違いありません。日本は、青年層の活力を顕在的に活用する組織管理の仕組をもう少し工夫する必要があります。勿論、能力・実績評価主義に基づくアメリカ的な競争万能システムが最良であると考えている訳でもありません。組織的な知識創造には、スポーツとは異なる面が確かにあります。ぼくの連載の意図は、こうした問題を日米社会システムの比較を中心に構造的に解き明かし、新しいシステムを創出する方向性を指し示すことにあります。隠れ竜馬である読者諸氏に対しては、差し当たり、コミュニケーション能力を磨き、潰されないよう組織内部での自らの位置取りを旨く行い、力を蓄えて後日を期すことをお勧めします。次回は、本筋に戻り、そうした技量を養うことに役立つ「コミュニケーション構造論」を展開します。

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