サーバント・リーダーシップの考えを提示したロバート・K・グリーンリーフの言葉で、最もよく引用されるのは次のくだりです。
“It begins with the natural feeling that one wants to serve, to serve first. Then conscious choice brings one to aspire to lead.”
「それ(サーバント=従者としてのリーダーシップ)は、尽くしたい、まず最初は尽くしたいという自然な感情にはじまる。その後に、自覚的に選択した上で、導いてもいきたいという気持ちになっていくものなのだ」
私ははじめてこのグリーンリーフの言葉に触れたときに、自分がこれまで抱いていたリーダーシップのイメージとはかけ離れていたので、一方で驚き、他方ではこの考え方に非常に心惹かれるものを感じました。自分が力づくで人をぐいぐい引っ張るタイプのリーダーではないと思っていた分、よけいに強くそう感じたのかもしれません。
Bさんも「自分はリーダータイプではない」と思っていたそうですが、自然にサーバント・リーダー型に近いリーダーシップをとっているように感じました。
CAのチームメンバーの仕事は、乗客の快適な旅のために奉仕すること。Bさんは、さらにその一段階上に立ち、リーダーとして彼女たちの仕事の支援をするようになりつつあります。これは、ぐいぐい力づくで部下を強引に引っ張っていくタイプの、旧来のリーダーシップとは、だいぶスタイルが違います。
「私についてこい」と命令するよりも、「あなたの取り組みは、ミッションにかなったよい自発的な動きだから、リーダーの私が支えるよ」と、相手を支援することのほうが性に合っているという人は少なくありません。それに頭ごなしの命令が成果を上げるかというと、そんなやり方がよいともいえないのです。
また、「リーダーシップなんか自分にはない」とはなから思い込んでいる人に対して、このサーバント・リーダーシップの考え方は、「リーダーシップ嫌い」という病(やまい)の解毒剤にもなります。
米国ではベトナム戦争の頃に、多くの若者がリーダーに対して信頼感を失っていきました。若者を戦地に送り込み、多数の生命を失わせることになった政治のリーダーも、軍のリーダーも、軍産複合体をつくっていた産業界のリーダーも、そして学園紛争によって学界のリーダーも、信じるには値しないと見なされたのです。
そのためベトナム戦争当時に青春を過ごした多くの人たちは、リーダーシップに対して拒絶反応を持つようになりました。彼らは「アンチ・リーダーシップ」のメンタリティを持ち、人の上に立つことより、自由や愛を求めることのほうが崇高で人間的だと考えるようになったのです。彼らはそのような考えにもとづき、ウッドストックなどのロックのフリー・コンサートに熱狂し、インドのヨガや哲学に傾倒し、ヒッピームーブメントをつくり上げていきました。
しかしそのままでは、若い人たちの中から、将来、米国を導くリーダーとなる人がいなくなる。そう危惧したロバート・K・グリーンリーフが辿り着いた理想のリーダー像こそが、サーバント・リーダーだったのです。
ぐいぐい積極的に前に出るような性格ではない人でも、組織や集団の中で周りのメンバーを引っ張って行かなければならない局面になることはよくあります。そのときにサーバント・リーダーシップの考え方を知っておくことは、きっと役立つに違いありません。
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