お前は従業員とご主人のどちらの言うこと聞くんだ!
臨海学校というのはたいてい真夏に行う。普通、外は炎天下だ。外から戻ってきたら当然のどが渇く。カラカラの僕らはお茶の水がめに向かってまっしぐらに走った。
ところがその水がめがない! 旅館のおばちゃん(仲居という感じではなく、あきらかに近所のおばちゃんが手伝いにきていただけという格好をしていた)に聞くと、今作ってるから待てという。ぶうぶう言っていると、あの悪魔の一言が返ってきた。
「お茶の用意ができるまで、水道の水でも飲んでれ」
子供は大人の言うことを聞くべきだと僕らは習った。自分たちに都合のいいことならなおさらである。僕らは歓声を上げて、備え付けの湯飲み茶碗に水道水を入れて飲んだ。
そこへ、タイミングの良すぎることに、先生が現れて「こらあ〜」と叫んだのである。生水を飲んだ児童は一網打尽にされ、先生方が泊まっている部屋に集められた。僕がおばちゃんが飲めと言ったから飲んだんだと行為の正当性を主張すると、先生は今でも憶えているあの一言で返してきた。
「お前は従業員とご主人のどちらの言うこと聞くんだ!」
当時は体罰など当たり前だったが、頭をたたかれるよりショックだった。社会科の授業で国民はみな平等と教えてくれた先生が、身分差別としか思えないことを言うのだ。僕はようやく陰毛が生え始めたが精通もない子供だった。しかし、この言葉で一足早く大人の世界を垣間見た気がした。
生意気に口答えする僕には、さらなる追い討ちがかけられた。
「班長のくせに水を飲んだのは森川だけだ。班長は交替だ!」
小学校6年生にして、降格の憂き目にまであってしまったのだった。さらに生水を飲んだ者は全員、約束が守れなかったので家に帰すということになった。先生を先頭に天津小湊駅まで歩く間、僕たちは泣きに泣いた。親に合わせる顔がない――。僕の思いはこれだけだった。
駅に着くと、先生が「おまえら本気で反省してるか?」と尋ねた。僕らは「うえーん、本当に反省しています」と泣きながら答えた。「よし、それなら帰すのだけは許してやろう。その代わり、午後はずっと反省文を書いとれ」
帰るのだけは免れたが、一番楽しみにしていた海水浴とスイカ割り大会には参加できず、反省文を書く羽目になってしまったのだった。なお、生水を飲んでお腹をこわした子供は1人もいなかった。天津小湊町(というか千葉県)の名誉のために一言付け加えておく。
地雷を踏んで学生気分は少しずつ“爆破”されていく
さて、そのときは子供だったし夢中だったので、自分が悪いと思っていたのだが、数年後考えが変わった。
どう考えても、水がめが空になるタイミングが変だし(僕らは数時間外にいてから帰ってきたのだ。用意していないのはおかしい)、先生が現れるタイミングも劇的だった。
あれは間違いなく罠だったのだ。スケープゴートを使って、残る人間を管理する。管理サイドの常套手段である。
新入社員の寮で麻雀をしているときに、ふとこの臨海学校を思い出したのだった。あれと同じにおいがする、と。
子供のころの強烈な体験は忘れられないという。僕は、あの臨海学校のおかげで罠には敏感な大人になってしまった。それで、なんとか事なきを得たのだった。
会社というところは、入社式どころかその前日から罠をかけてくるところである。入社式で名指しで叱られるなどという目に会いたくなければ、気をつけてほしい。
入社式以降も次々と罠が待っている。特に人事部という部署は、あなたたちの学生気分を吹き飛ばすためにあの手この手を使ってくる。そういうことに長けた人たちの集まりなので気を許してはいけない。
人事部だけでなく、研修などの講師も次々と罠をしかけてくる。集合研修が終わってOJT(On the Job Training、実地での研修)になると、今度は育成担当が毎日のように罠をしかけてくる。
あるときは同僚が地雷を踏むのを見て、またあるときは自分自身が地雷を踏むことで、学生気分は少しずつ“爆破”されていく。こうしてみんな立派な社会人になっていくのだ。がんばってほしい。
ところで、社長訓示で寝るような人は、やはり大物なんだろうなあ。全員が出世したわけではないが、出世している同期のほとんどは寝ていたやつだった。
※この記事は、誠ブログの「成功哲学への素朴な疑問:入社前から罠がある」より転載しています。
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