過労自殺した電通新卒女性社員に対して、上司は「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」「今の業務量で辛いのはキャパがなさすぎる」という言葉をかけていた。これは電通マンという名の「大縄跳び」を、「みんな」と同じペースで跳ぶことができない女性社員に対してのイラつきから出たことは明らかだ。
壮絶な長時間労働の果てに亡くなった人たちが、なぜそうなる前に逃げ出さなかったのかという話になると、「そういう判断ができないくらい追い詰められる」という意見が出る。
まったく異論はないが、そこに加えて筆者は、幼いころからの「大縄跳び教育」で刷り込まれた罪悪感によって逃げられないのではないかと考えている。
「みんな」と同じように残業をしなくては恥ずかしい。「みんな」が当たり前のようにできていることをできない自分は、生きている価値がない。こんな忙しい時期に辞めてしまったら「みんな」に迷惑がかかる――。
本来、人は自分の人生をよりよくするために働くはずなのに、なぜか「みんな」という顔のない人々の顔色をうかがいながら、強烈な罪悪感を抱えながら働かされている。そこまでしてやりたくない大縄跳びを、「みんな」の顔色をうかがいながら、血反吐を吐きながら練習させられる構造とまったく同じだ。
日本人がいつまでたっても仕事を楽しいと思えないのは、企業うんぬん、個人うんぬんではなく、日本人全体が子どものころからしつけられている「大縄跳び教育」に代表される「みんな至上主義」ともいうべき学校教育のせいではないのか。
筆者がそう思うもうひとつの根拠が、この教育が始まった「タイミング」だ。
先ほど「大縄跳び」が1960年代から小学校で盛んに行われるようになった、と述べたが、なぜそうなったかというと、同じ時期に日本の教育が「集団主義教育」にかじをきったからだ。
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