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» 2018年07月03日 08時05分 公開

日本人の働き方が変わらない、本当の原因は「大縄跳び競走」にあるスピン経済の歩き方(2/7 ページ)

[窪田順生,ITmedia]

「大縄跳び」をやめてみる

 大縄跳び自体を禁止しろなどと言っているのではない。この競技でどうしても世界を目指したいというのなら、「高校生クイズ」みたいに、希望する子どもたちが集って大会をすればいい。

 跳びたくない子ども、跳ぶのが苦手な子どもも無理矢理に巻き込んで「クラス全員強制参加で高記録を目指す」みたいなノリへもっていく指導方法をあらためるべきだと申し上げているのだ。

 「ハア? なんで働き方の話で子どもの教育をひっぱりだすんだ、この反日左翼め!」なんて罵詈(ばり)雑言が飛んできそうだが、ちょっと冷静な目でこの日本特有の教育法を俯瞰(ふかん)してみれば、集団のために自分を殺すことが「正しい」と体に叩きこませ、いわゆる「社畜」の予備軍をつくりだすシステムとなっていることは明白だ。

 例えば先日、実際に「クラス別大縄跳び競走」を行っている小学生に直接話を聞く機会があった。

 その小学校では、大縄跳びが大変盛んで、記録会へ向けて昼休みなどの自由時間にも、クラスの子どもたちが自主的に練習をするほどだという。これはクラス全員で「話し合い」をして納得のうえで行っているからだというが、それはあくまで表向きの話らしい。

 当然、縄跳びが得意ではない子どもや、やる気のない子どももいるが、「先生や大縄跳びが得意なグループが燃えているので、とても言い出せる雰囲気ではない」というのだ。

 サラリーマンが、残業する上司や同僚の前で「じゃあ今日は予定あるんでお先にあがりますね」なんて軽々しく口にできないのとまったく変わらない「同調圧力」を、「全員参加の大縄跳び」によって身をもって叩き込まれているというわけだ。

 ただ、それよりも筆者がこの教育が罪深いと感じるのは、まだ年端もいかぬ子どもたちに「みんなと同じじゃないと恥ずかしい」という、強烈な罪の意識を植え付けていることだ。

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