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蒲田 初音鮨物語 一年先まで予約が埋まる――全てが型破りな「笑顔と幸福の鮨」の正体(1/3 ページ)

» 2019年06月20日 10時00分 公開
[本田雅一ITmedia]

この記事は、本田雅一氏の著書『蒲田 初音鮨物語』より第1章を転載、編集しています。


 客足もまばらで、つぶれかけていた場末の鮨屋(すしや)「蒲田 初音鮨(かまた はつねずし)」。それが突然、“世界中から予約が入る名店”として名を馳はせるようになった背景には何があったのか?

 「5年後の生存率は、10%以下」――当初は「銀座の名店に負けたくない」とばかり、競争・闘争の世界にいた鮨屋のオヤジが、妻の余命宣告と闘病をきっかけに、店を大きくする野望を捨て、利益もこだわりも全て捨てて、ただ妻とお客のためだけに鮨を握りはじめた時――。これはある鮨屋夫婦に起きた小さな奇跡の物語。

 第1章の前編に続いて、後編をお届けします。

“最上級中の最上級”を最高の状態で客に提供

 今やレストラン業界で知らぬ者がいない蒲田初音鮨。

 1日で8席×2回転、計16人しか楽しめないその舞台へのチケットを入手すべく、何度も、何度も予約の電話を入れた人は数知れず。しかし、つながったと思っても、その先に聞こえてくるのはいつも「予約は翌年末までいっぱいです」というおわびの留守番メッセージ。

 営業方針は、その年ごとに決めている。よって当初は、“翌年の予約は取らない”と決めていたが、その予約があっという間に埋まってしまい、お店に食べに来た客でさえ、次の予約を取ることができないありさま。それで翌年までの予約を受けることにしたのだが、それもあっという間の完売。

 1年の営業日、1日の回転数、1回転の人数――それぞれに限りがある。幻とも思える蒲田初音鮨の予約は、美食家たちにとってもあこがれの的だ。

Photo 日本でも有数のネタが集まってくる蒲田初音鮨(撮影:飯塚昌太)

 しかし、この蒲田初音鮨。全く同じ場所、同じ親方が握っているにもかかわらず、ほんの数年前まで……正確には2015年の夏ごろまで……は、誰でも簡単に予約が取れる、いやいやそれどころじゃない、赤字続きで火の車、今日を最後に商売をやめてもいいように身辺を整え、それ故に二人だけで営業する“明日をも見えない”店だった。

 『ミシュランガイド東京2009』――すなわち、都心から外れた大田区蒲田をもその対象エリア内に入れた最初のミシュランガイド(日本発売のミシュランガイドとしては2作目)からずっと、二つ星での紹介をされ続けている。2008年11月から、いちの間をあけずに、2018年11月まで毎年、である。

 しかし、その事実をもってしても、また、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの勝の業(わざ)をもってしても、2015年の夏までは、わざわざ都心を離れた蒲田にまで来て、しかも万円単位の高級な鮨を食べてやろうという物好きは限られていた。

 無論、勝とて、蒲田では厳しい勝負を強いられることは分かっていた。それでも蒲田に客を呼ぶのだと、歯を食いしばってやってきた。“人の流れ”は簡単には変えられない。しかし、蒲田初音鮨の運命、中治勝・みえ子夫妻の運命は、その努力を神様が見ていたかのように、数年を経過するうちに大きく変化していった。

 今は押しも押されもせぬ名店、人気店。顧客満足度の高さで群を抜き、お店の経営も安定した。あっという間の“大ブレーク”。中治夫妻の運命、その流れが大きく変わった理由は決して一つだけではない。

 実のところ“今現在”の蒲田初音鮨の仕事、“流行る理由の一つ目”は、どんな素人にだって分かる。いや、本当のところ“どのぐらいすごいか”までは想像できないかもしれないが、そのすごみ、異様さにはすぐに気付くはずだ。

 何しろ、使っているネタが尋常ではなく豪華なのだ。

 いや、豪華という言葉だけでは表せない“すごみ”のあるネタが、決して一点豪華主義ではなく、最初から最後まで、もう終わりかと思えばまだ続く。あれもこれも、どこまでも続く、まさにオールスター。ただの一つも“普通のネタ”が出てこない。

 笑顔と幸福の鮨――しかし、その背後にまとうきがい気概、そして命がけともいえる決意が、幸福オーラの先にほんのりと透けて見える人は限られているのかもしれない。

 その季節には他に一本と見られないほどの、脂(あぶら)がたっぷり乗った天然の極太鰻(うなぎ)。ゆうに1.2キロを超える巨大な鮑(あわび)。きめ細かな“細胞”が、シャリシャリと舌の上に広がり、味わおうとかみしめると、その極小の粒々が弾けるように躍り始める極上の白ウニ。あるいは淡路(あわじ)に房州(ぼうしゅう)、和歌山、各地に張り巡らせた名人級の漁師たちが「コイツはすごいのが上がった!」と意中の仲買人に携帯で緊急の電話を入れるほどの魚たち。

 そうしたネタが出たと聞くや、港から通い住宅街に存在する蒲田初音鮨の親方に、真っ先に連絡を入れてくる、漁師達から信頼の厚い仲買人がいる。

 豊洲(とよす)でも一、二を争う大手の仲卸業者・尾坪(おつぼ)水産で活け物を扱かってきた成川貴大(なりかわたかひろ)だ。

 彼は、その日一番の素材が見つかり、自らの人差し指と親指が「最高の弾力」を確認し、心の中でガッツポーズを決めると、次の瞬間には満面の笑みで勝に電話を入れる。

 今では尾坪水産の常務取締役にまでなった成川だが、まだ19歳の若造だった1994年冬頃から、これぞ最高の素材と思ったネタを見つけると、最初にぶつけると決めてきたのが蒲田初音鮨の親方・中治勝なのだ。

 その日、その週、その季節、これこそ一番という魚は、漁師たちと強い信頼関係で結ばれた本物の目利き、漁師と気持ちが通じる数少ない仲買人が情報を得て仕入れる。

 そして、その仲買人が同じように信頼関係を結んだ料理人、「あの人に使ってほしい」と思う職人に連絡を入れる。

 良いネタを仕入れさえすれば、鮨なんてのは、どのように握ってもうまいのではないか。そんなことを考える人もあるかもしれない。しかし、その良いネタは、高い金さえ払えば誰でも仕入れられる、というわけではないのがこの世界の常識だ。

 良い魚を見る目はもちろん、魚に対する知識も、扱い方も、そして捌(さば)いたあとの仕事のやり方も、全て見通した上で、最高の素材を扱ってほしい。それに応えられる職人にしか良いネタは渡らない。誰もが欲しがるすばらしい素材。それを扱ってほしい職人は誰なのか。

 本物の目利きの仲買人に、真っ先に思い浮かべてもらえなければ、本当にすばらしい素材は手に入らない。どんなに名のある名店であっても、どんなに多くの札束を積み上げてもかなわない。

 成川は、普通ならばお目にかかることすらかなわぬ“最上級中の最上級”としか表現できない素材を蒲田初音鮨に長年、集めてきた。

 それは“高価なネタ”を無条件で買ってくれるからではない。心の底からすばらしいと思う魚を、最高の状態でお客に提供してくれるという信頼感があってこそなのだ。

 こうして、成川の貢献もあって、勝のもとには日本でも有数の最高の食材が日々、ばんばん集まってくる。それ故に、“鮨のプロ”が蒲田初音鮨で食事をすると、誰もが抱くのが『初音さん、こんな最上級のネタを惜しげもなく大盤振る舞いするなんて、長くは(店を)やるつもりはないのかな』という印象だ。口には出さなくとも、脳裏にはきっとそう浮かんでくる。そして、浮かんできた考えは、そのうちうわさになっていく。どう考えても利益が出ているとは思えないからだ。

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 明日の営業、来月の営業、来年の見通しなど全く考えていない。そもそも店を続ける気があるのか。蒲田初音鮨を食べる同業者たちの脳裏には、そんな疑問さえ湧わいてくるほどだという。

 そもそも、素材の選び方、調理の手法など、あらゆる部分で「ここから先は危険」な節度を超えている。こんな常識外な商売は、ずっとは続けられるわけがない。

 そして勝の場合、集めてくるごうか豪華なネタは、魚介の類いにとどまらない。

 例えば、白トリュフ。

 1キロの仕入れ値が80万円というイタリア・アルバ産の中でも最高級の白トリュフを、勝は旬の季節、11月になるとにぎり鮨で使う。白トリュフだけではない。鱧(はも)、松茸、鮎(あゆ)。鮨とはあまり縁が深そうではない素材を、その季節ごとの最高の時期に使うのが勝のやり方だ。

 「松茸や白トリュフ。『そんなものを使うなんて、鮨屋のくせに……』と思ってる方はきっといるはずですよ。だって俺は銀座で日本料理を学んでから、ここ蒲田で鮨屋をやってる。だから“えっ? コレを鮨で使うの?”って驚く職人の気持ちが手に取るように分かる」しかし、勝が白トリュフを使う理由は、豪華さを競うためではない。

 先達(せんだつ)たちが作ってきた鮨屋の定番コース。しかし、そこから外れて、あらためて現在という時間軸に置き換えたとき、鮨というスタイルの中で、もっとできることがあるんじゃないか? 勝が白トリュフに合わせるのは、ふっくらトロトロ、甘みを感じる濃厚な真鱈(まだら)の白子だ。本格的な秋の訪れを象徴する白トリュフ、そして冬の始まりを感じさせるまだら真鱈の白子。この二つが出会う11月、勝は惜しげもなく、白トリュフと白子を組み合わせた温かい鮨を客に振る舞う。

 鮨屋が白子を扱うとき、多くの場合、ポン酢や紅葉おろしを使ってつまみにするものだ。しかし、もっと良い食べさせ方はないのだろうか?

 「白子ってのは、食材としてあつかう時には“たまご”の一種と考える。火が少しだけ入ってる半熟のところ、とろっとしたやつを温か今まで食べると白子の“甘み”がよく分かる! そうすると、甘みやうま味が最高潮に達するんですよ。その一番おいしい瞬間に口の中に放り込んでもらって、半熟“たまご”の甘みとうま味の調和を口の中で完成させてほしいんです」

 鮨の師匠が弟子にそうするように、ほらこんなあんばいだと手渡しされて、口の中でモグモグすると、なるほどと、意図した味の完成形を味わえる。そのためにも、冷たい白子をつまみに、あるいは冷たいままの鮨にするのではなく、一番いい味が出る温かいままを、温かさの残るシャリと一緒に食べてもらうのである。

 白子とシャリの温度を合わせ、そこに載せるのは禁断のイタリア・アルバ産白トリュフ。動物性の脂肪と相性のいいこの素材を、ザク、ザク、ザクッと包丁でスライスすれば、半熟のあったかい“たまご”であるところの白子と一体になって、あぁ、なんてすばらしい季節なんだと実感できる。まさに、反則級のうまさである。11月にここ、蒲田までやってきたかいが本当にあった。客はそう感じるに違いない。

 白トリュフを使った鮨は、蒲田初音鮨・中治勝という職人の“ただならなさ”を象徴する一貫なのである。

 料理なしの鮨のコースだけで季節を演出するべく、勝は、季節に合わせた素材を使う。普通は鮨に使わない素材、あるいは鮨の定石からは想像できないような手法を用いた組み合わせ。そこには小さな驚きが、たくさんある。

 料理人としての経験とセンスを生かしたスペシャリテ(特別なかんばん看板料理)は、さまざまなジャンルの料理で生み出されてきた。勝がもし日本料理を作っていたならば、コース料理の中でそれらを表現し、素材を生かすことで季節感を表現したに違いない。

 ところがそれが鮨ともなれば、真ん中の道から外れたところに向かっただけで“変わり鮨”と呼ばれてしまう。しかし、勝の場合は、そうならないのはなぜなのか?

 例えば、鱧を鮨のコースに組み入れるとしたら、常識的には前菜ものだ。冷えた前菜の中で八寸に盛る、あるいはおしのぎでつないだり、あるいは棒寿司でいただいたり。いずれにしろ、そこに温かさはない。しかし、日本料理として考えたとき、自分が板前ならば、冷たくなった鱧を本当に出したいと思うだろうか?

 『鱧のおいしさってなんだろうね?』勝は自分自身に問いかける。

 あっさりした肉のスープと脂のコク。これを温かいうちにいただくのが一番。旬の時期の鱧、それも最高に肉まわりの良い鱧を目の前でさばき、調理して、その身からあふれるうまさが“つゆだく”になったそのとき、炊き上がった飯に酢を仕込んでから少し時間がたった、ややドライ気味のシャリをからめる。すると、温かい鱧の温度感、ジューシーさとのコントラストを楽しんでいただける。

 冷たい鱧でも疑念を持たないお客さんに、本当のそのおいしさ……淡路の鱧の良さを知っていただく。蒸し焼きにした最高の鱧の味わいをお鮨として楽しんでもらいたい。素材と調理の業がぴったりマッチしてこその最高の味わい。これ以上の良い鱧がないのだとしたら、ぜひお熱いうちに食べていただきたい。

 勝にとって、一貫の握りは一品のお皿。そこにどんな意図を込めたのか。その素材はどんな出どころのネタなのか。面白おかしく笑顔を絶やさず、その味の秘訣(ひけつ)までをも語りかけながら、味の旋律がかなでられ、次々と出てくるすばらしい素材がリズムを生み出していく。

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