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蒲田 初音鮨物語 一年先まで予約が埋まる――全てが型破りな「笑顔と幸福の鮨」の正体(3/3 ページ)

» 2019年06月20日 10時00分 公開
[本田雅一ITmedia]
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覚悟を決め“顧客価値とは何か”を追求

 蒲田初音鮨の仕入れは鮪代だけでも年間3千万円以上。それ以外の素材も4千万〜5千万円で、そこに酒代が乗ってくる。さらにもろもろの経費を加えれば、年間の仕入れは1億円を払っても、ほとんどお釣りはない。

 対して1日の客数は、わずか8席×2回転のみなのだから、週休1日で働きに働いても、もうけはほとんど残らない。

 その原価率は6割を超える……といううわさがまことしやかにささやかれているが、実はそんな数字も控えめ。白トリュフなどの高級食材を使う時、あるいは珍しい食材が入手できた時などには、原価率が8割近くになることもあった。

 「この人(勝)が、原価のことを考えないだけなんですよ。だって、仕入れの時に、値段を尋ねたところを聞いたことなんてないんだから」

 そんな、経営なんて全く、これっぽっちも考えていないようなやり方なのだから、「毎日、人生最後の記念に営業をしている」「店を続けるつもりはないんだろうね」とうわさされるのは、ある意味当然だったのだ。

 しかし、もちろん蒲田初音鮨を閉めてしまう考えなどは、中治夫妻の頭の片隅にも存在していない。夫妻は一日でも長くこの幸せな空間を維持し続け、より多くの人に“おいしい”を届けたいと考えている。

 では、なぜ二人はこれほどまでの、捨て身ともいえる鮨屋の経営をしているのだろうか。

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 彼らの成功と幸福とを導く“魔法のレシピ”の秘密を知るには、少しばかり店の歴史、そして中治夫妻の過去について語る必要がある。

 彼らのやり方は、実は、決して特別ではない。経営者の心得として当たり前のこと、しかし、誰もが簡単にはできないことをやり続けた結果、11年連続して『ミシュランガイド東京』で二つ星で紹介されるなどといった今があるのである。

 覚悟を決め、“顧客価値とは何か”に真剣に取り組み、本当の満足を顧客に与えるために何ができるのか、正面から取り組んだからこその成功だった。

 そこには、本書巻末で記すように、あの世界のAmazonやAppleにも通じる成功法則が内包されている。

 この蒲田初音鮨が通ってきた轍(わだち)には、人が、企業が、夫婦が、親子が、さまざまなカタチで成功を収めていくための普遍的なノウハウが数多く秘められているのだ。

 現在、絶頂にある蒲田初音鮨その琥珀(こはく)色の記憶をたどっていくと、そこにはその幸せな空間からは決して想像もできないような、ジェットコースターのように激しく変わりゆく、先の見えない運命の紆余曲折があった。

 1893年(明治26年)から126年続くこの店の歴史の中でも、一番後のつらく悲しい出来事こそが、現在の蒲田初音鮨を生み、人々に“品川の関の向こう側”へと通いたいと思わせる力を生み出したのである。

 その理由、蒲田初音鮨を現在の幸せな鮨屋へと導くつらく悲しい出来事とは、2005年9月に、勝の妻であり四代目・蒲田初音鮨のおかみである、みえ子が突然のがんと余命を宣告されたことだった。

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【第2章に続く】

本田雅一プロフィール

テクノロジージャーナリスト、オーディオ&ビジュアル評論家、商品企画・開発コンサルタント。

技術を起点に経済的、社会的に変化していく様子に着目し、書籍、トレンドレポート、評論、コラムなどを執筆。

90年代初頭よりPC、IT、ネットワークサービスの技術、製品トレンドを追いかけ始めるが、現在、その取材対象はカメラ、オーディオ、映像 機器、映像制作、自動車、SNSなど幅広い分野に拡がり、さまざまなメディアにコラムを提供する。

オーディオ&ビジュアル専門誌ではAV評論家としても活躍。商品企画や開発アドバイザーとしても多くの製品に関わっている。


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