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蒲田 初音鮨物語 一年先まで予約が埋まる――全てが型破りな「笑顔と幸福の鮨」の正体(2/3 ページ)

» 2019年06月20日 10時00分 公開
[本田雅一ITmedia]

 どのような言葉にも表と裏、二つの捉え方がある。

 “伝統”という言葉。その中には時代ごとに先達が創意工夫を重ねた、長い時間を経て完成された作法、技術といったニュアンスが含まれる。

 しかし一方で、少し古めかしい、今現在を直接的に反映したものではない、といったやや後ろ向きな捉え方もできようというものだ。

 “伝統”という少々重苦しい言葉を“当たり前”と置き換えてみると、“こうすることが当たり前”というカタチを崩すことが、いつの間にかその業界においてタブー(禁忌)となる。“伝統”という耳あたりの良い言葉のもとに、新しい価値を求めての挑戦が行われなくなり、それは文化としての停滞をもたらす。

 これは食文化以外の、ビジネスや技術開発などのジャンルでもよくあることだ。

 長い時間をかけて醸成されてきた“当たり前”は、そこさえ踏み外さなければ失敗しないという安心感をもたらす。しかし、長く“当たり前”に頼り続けていると周囲の環境の変化に追従できなくなり、いつしか時代とのギャップの大きさが限界を迎えて、新たな挑戦者によるイノベーションが引き起こされる。

 “伝統を破る”ということは失敗を恐れないことであり、新しい価値を求めての挑戦でもあるが、一方で失敗するリスクも高い。それでも挑戦するからには、自分自身の中で絶対的な価値評価を行えるという自信がなければ決してできない。

 時代が変われば料理も変わる。技術が進化することで食材の保存法、調理法は変わる。調味料や、そもそも食材の“捕獲法”という上流の技術も変化していく。そのような中で料理は変化してきた。ならば、技術が世の中を大きく変えている現代では、新しい味を模索することは、全ての現役調理師の努めなのではないか。

 勝は、自分の中にある全ての“常識”を捨て去ることに決めた。

 「江戸前伝統の手法を守りながらも、全ての常識を疑うことで、よりすばらしい鮨を生み出せるなら、そこに禁じ手なんてあるはずもない。伝統も大切だが、お客さんにおいしい鮨を提供する心こそがその大本にある。その基本に比べたら、鮨の枠組みがどうのといったこだわり、常識は新たなる発見を見失わせるだけのものだ」

 そもそも「江戸前鮨」とは、“魚を新鮮な状態で保存する技術がまだなかった時代”に確立された手法である(その対極が、現代の冷蔵庫・冷凍庫の存在を前提にした「お刺身寿司」ともいえる)。

 もともとは、(冷蔵庫・冷凍庫なしで)魚介類を保存するため、酢や塩を工夫して飯と組み合わせることで料理とする「押し寿司木枠(きわく)」というのが、鮨の始まりだとする説がある。

 それを発展させ、“前海(まえうみ:=江戸湾)”で捕れた魚をよりおいしくいただくため、魚介類・米・塩・酢・しょうゆの調和を絶妙に取ることで、保存をきかせつつ、まるで”一皿の日本料理のように完成された一貫として“手で握る”ようになったのが、江戸前鮨だというのだ。

 勝の鮨は、この江戸前鮨の技法を踏襲しながらも、新しさを“一貫の中で”表現する。それはあたかも、他の分野の料理人が、時代の変化を背景に“新しい一皿”を生み出すようなものだ。

 江戸前鮨の技法が成熟する中で完成されてきた手法――勝はその成熟の経緯をさかのぼり、基本から組み立て直し、独自の手法へと昇華させて“新しい一貫(ひとさら)”へと着地させた鮨を、お客に出す。

 その道のプロ、あるいは江戸前鮨に少々詳しい食通が体験すれば、ひとつひとつの鮨、ひとつひとつの仕事の流れの中に、驚きが隠されていることに気付くはずだ。

 さらに勝は、そうした工夫――どのように考えてその一貫を作り上げているのか――を一切隠そうとはしない。全て包み隠さず、軽妙な言葉にさらりと乗せて、その秘密をお客に伝えていく。

 長年培ってきた業とノウハウ――どこの漁師に、どんな風に魚を捕って処理をしてもらい、それをどのように調理するのか、そして、その気持ちの本当のところはこんなところにあるんだよ――と、まるで学校の先生が教えるように喋り続ける初音の親方である。そこには多くの同業者もやってくる。

 明治から続く老舗ながら、跡取りを持たない、跡を取らせる弟子も取っていない蒲田初音鮨は、鮨職人が店を訪ねてくると、面白おかしく話をしつつ、しかし、その中に“俺はこういうやり方で鮨を食わせる”という業と考えを折り込みながら、包み隠すことなく全てを目の前で披露してみせる。自分が持っている全てを、新しい世代の若い職人に知ってもらい、それを自分の中で消化し、新しい鮨にしてほしい。そんな願いを持って接する勝の仕事ぶりを勉強しに行きたいという若い鮨職人は少なくない。

 都内のある人気店から、若手の鮨職人が蒲田初音鮨にやってきた時のことだ。

 よくしゃべ喋る、何でも教えたがる、何も隠さない勝の店へ、予約がまだ取りやすい頃には、鮨職人が貸し切りでやってくることも少なくなかった。

 「親方、今日は本当にありがとう。こんなすごいネタ、初めてです。今日は、僕らのために特別豪華なネタを出していただいてますよね? 明日、店でうちの親方にも、紹介のお礼を言わないと」

 「今日は特別? いやいや、いつもこんな調子のネタだよ。毎日がお祭り騒ぎだよ。昨日も今日も、明日もまた同じ調子。もうこれで何年もやってるからね」

 そんなやりとりも、決して珍しいことではない。

 鮨職人は、自分が握るネタの原価を常に意識しながら素材を扱っている。

 素材である魚をいくらで仕入れ、それをどう捌いて、どのように使っていけば、この鮨一貫を、これこれの価格で提供できるだろう――だいたいの原価はこんなものだから、ここをこう使えば……と収支計算をすることを、若いうちから身体に染み込ませて成長する。

 原価を肌で感じながら、無駄を出さぬよう、損を出さぬよう、体内にあるコンピュータで数字を瞬時に“パン!”とはじ弾き出す。だからこそ、ギリギリに攻めた仕入れで、お客さんから預かるお金から、最高の鮨を出せるのだ。

 そんな修業を積んだ鮨職人なればこそ、蒲田初音鮨で最初の数貫が出てくると、「これはちょっとオカシイぞ?」と思い始める。

 どこにも仕入れられないような最上級の素材だけで「オカシイ」と思うわけではない。勝は、きっとそのまま使えばそれだけで最高であろう素材に、さまざまな“調理”を施す。鮨職人が施す工夫を“仕事”と表現するが、勝はまさに日本料理を作り上げるかのような“調理”の領域にまで踏み込んだ仕事ぶりで鮨を握る。

 まな板の上で跳ね上がりながら最期を迎える特大の伊勢エビを捌くと、勝はその半透明の身を適度な食感を得られるよう刻み、人数分に整えながら山を作っていく。その間にも、みえ子へとバトンタッチされた“残りの部分”は蒸し上げられ、ちょうど良い頃合いに勝の手元へと還り、強い甘みとうま味でとろけるような伊勢エビの“ミソ”と、新鮮な半透明の身とが一体となって、他店では体験したことがないような“料理”が口の中でかむことにより完成される。

 これが蒸し上げた毛蟹だというのなら、多くの店が、きっと足の身をほぐしてまとめた上で、ほどよく火の通った極上の蟹ミソを和えて提供するだろう。しかし伊勢エビのミソも、これまたうまいものだ。ピンピンとは跳ねる極上の伊勢エビの、しっかりと引き締まった半透明の身。これに良いあんばいで海老ミソを、と実に発想を飛ばしたのが勝の一貫だ。

 勝のコースが中盤になる頃には、さらに並外れた大きさ、並外れた質の鮪(まぐろ)が目の前に登場し、ダメを押された気分になってくる。

 目の前でざっくりと入るまぐろ鮪専用の長包丁。赤身、中トロ、大トロとサクッと切り分ける、そのサクの大きさは常識はずれ。そして、そのサク全てを、その回で使い切る。

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 「あぁ……今日も大きく切りすぎてしまった……。鮪屋さんがこの包丁、タダでくれるわけです。なぜかってぇと、この包丁で切ると切り身が大きくなりすぎちゃうから。うちのおかみさん、この包丁が大嫌いなんですよ」

 そんな軽口とともにサクを切り身にしていくが、実は赤身はもちろんのこと、その中トロと大トロも、そのままで食べさせるわけじゃない。一番、あぶら脂の乗った大トロは、一度湯通ししてから、その後、蒲田初音鮨が長年継ぎ足してきたしょうゆへ浸され、ヅケの炙(あぶ)りとして提供される。つまりは、“炙りヅケ”となるのだ。

 「昔、保存技術が発達していない頃には、腐りやすい大トロは最初に捨てられる部位でしてね……」なんて話も、「ヅケの技術ってのは、実は防腐の技術でして……」というセリフに続く爆笑ネタも、その頃には、驚きのあまり頭に入ってこない。

 あんな立派な大トロを、ヅケにした上で炙ってしまう。その香ばしいうまさは、脂ばかりが目立ってしまう本来の大トロを、実にバランスの良い完成されたメイン料理へと昇華させる。

 藁(わら)の炎が脂をほど良い温度で溶かし、タレとネタに香ばしい風味をもたらす。その頃にはすっかり枯れ、奥ゆかしくなったシャリが、溶けた脂をほんの少し軽くすることで、完璧なおいしさが生まれるのだ。

 これで終わりかと思いきや、思い切り大きく切り分け、たっぷりの厚みに切って余らせてあった赤身と中トロも、大トロの炙りヅケと一緒に太巻きにされて、最高のハーモニーを醸し出す。

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 こうして、初音のコースは、これでもかとばかりに、あふれんばかりの鮪づくしで終演へと向かうのだ。

 クライマックスの先に待ち構える、さらなるクライマックス。その間、一度たりとて飽きさせないのが蒲田初音鮨だから、他店の鮨職人の口からは、「これは商売として成り立たない」「今日は特別なんですね」なんていう言葉が出てくる。

 “いつもとは違う”“ちょっとした配慮”で、いつもよりいい素材、いつもより大きめ、いつもより……そんなひいきを、同業者にだけそっとしてくれているのだ――そう思ってしまうのは、鮨を知る職人だからこその「リミッター」が、頭の中で働いているからにほかならない。

 ところが勝は、毎日全てのお客に同じように、こうしたリミッターを外した“お祭り騒ぎ”を長らく振る舞ってきた。

 そんな蒲田初音鮨だからこそ、玄人衆の間でうわさになる。さまざまな鮨のプロ、あるいはよく物事を知っている美食家が訪問するようになるほどに“蒲田初音鮨閉店説”が定期的にうわさされるようになった。

 来年末まで取れない予約は、その翌年以降の予約を受け付けていないことを想起させ、原価を無視した、もうけを出せるようには思えないネタ選びは、“最後の記念”を思わせたからだ。

 店を続けるつもりならば、こんなばかばかげた鮨など出せるはずがない――その道に詳しい者であればあるほど、そう感じるのだろう。

 「『来年、お店を閉めるんですって? 本当ですか?』と予約の時に尋ねられることがよくあるんですよ」とみえ子。

 「誰がそんなうわさを? と思っていたんですが、とても商売を続けられるような原価率だとは思えなかったんでしょうね」しかしこの玄人の直感、実は全く間違いというわけではなかった。

 “続ける気がない”わけではないが、実は“なぜ蒲田初音鮨がお客たちを驚かせることができるのか”という秘密の核心を突いているからだ。

 実際、蒲田初音鮨は長年、事業として成立するギリギリどころか、商売を無視した“お祭り騒ぎ”がその基本にあったからだ。

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