5月4日に小型ロケット「MOMO(モモ)」3号機の打ち上げに成功し、民間企業が開発したロケットとして国内で初めて高度113キロの宇宙空間まで到達したインターステラテクノロジズ(IST、北海道大樹町)の稲川貴大社長が、ITmedia ビジネスオンラインの単独インタビューに応じた(ホリエモン出資のロケットを開発、インターステラ稲川社長が目指す夢「早期に小型衛星ビジネスに参入」を参照)。
同社は小型ロケット「MOMO」4号機を7月13日に打ち上げる。今回は紙飛行機を3機搭載し、宇宙空間に達した時に放出する予定だ。稲川社長は取材に対して「2023年には超小型の人工衛星を搭載した新型ロケット『ZERO』を打ち上げ、衛星ビジネスに参入したい」と話し、夢のある将来計画も明らかにした。
稲川社長は、「MOMO」2号機と3号機に対する大口スポンサーで、投資信託「ひふみ」の運用会社レオス・キャピタルワークスの藤野英人社長とともに、都内の同社にて「ロケット宇宙到達記念 トークイベントセミナー」を開催した。会場にはちびっ子を含む約200人の参加者が詰めかけ満席だった。以下ではその内容をお届けする。聞き手はレオス・キャピタルワークスの藤野英人社長が務めた。
――ロケットとの最初の出会いは何だったのでしょうか。
モノ作りに興味があって飛ぶものは面白いなと思っていました。大学時代に「鳥人間コンテスト選手権」(読売テレビ放送主催。人力飛行機の滞空距離と飛行時間を競う競技会)があったので、これに応募して参加しました。自分で設計図面を書いていたので、これで知識やノウハウを蓄積することができました。「鳥人間」はやり尽くしたので、次に何をやろうかと考えていたら、当時、人の身長くらいの大きさのロケットを作るのが学生の間で流行っていました。
他大学ではサークルがありましたが、私の大学にはなかったので、自分でサークルを立ち上げ、私もやってみることにしました。ここで分かったことは、それまでは「宇宙開発というと、何かスーパーマンがやるような特別な世界のことだ」と思っていたのですが、実は大学生であっても、ある程度のことまではできるということを体験して、宇宙というものへのハードルが低くなり、大きな衝撃を受けました。
――その後、稲川さんが「なつのロケット団」の打ち上げ実験を手伝いに北海道に行き、「すごい男」に出会ってしまったとか。
実は大学院を修了後に大手メーカーへ入社することが内定していたのですが、入社式の3日前に長野刑務所から出所してきた堀江貴文さんと会う機会がありました。話を聞いてから、ロケット開発の夢を実現したくなり内定を辞退しました。
堀江さんと会ったのは本当にすごいタイミングで、ライブドア事件のことは知っていましたが、堀江さんがどういう人なのかはあまりよく知りませんでした。しかし、堀江さんの皆を引っ張る力はすごくて、仕事場に彼がいるといないとでは駆動力が全く違うのです。「この人がいると前に進むな」と思い、ミーティングに参加した次の日に入社を決めました。
――1、2号機で失敗し、3号機で成功しましたが、これまでの最初の開発段階から成功までの経緯を教えてください。
開発開始は2005年から、11年からロケット打ち上げ実験を始めています。本社と工場は北海道の小さな町の大樹町に置き、千葉県の浦安市には電気系統やプログラムの開発拠点があります。17年7月に「MOMO」1号機を打ち上げ、打ち上げは成功しましたが、十数キロまでしか到達できませんでした。しかし、この打ち上げで多くの知見を得ることができました。
2号機は18年6月に打ち上げましたが、直後に落下、炎上しました。原因究明は普通1年以上掛かるのですが、姿勢制御部のサブエンジンの故障が原因であることを1年足らずの短い期間で突き止め、3号機に向けてどうすれば成功できるかを考え抜きました。
――成功したら世の中の反応は変わりましたか。
皆が手のひらを返したように違う反応を示すので、世界がこれほど変わるものかと驚きました。本音では不安に思っていた人も「できると思っていたよ」と言ってくれましたが、成功したという実績があるのとないのとでは見方が大きく変わるのを実感しました。
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