「自然災害→経済破綻」その後どうなるのか 最悪のシナリオスピン経済の歩き方(4/6 ページ)

» 2019年09月24日 08時00分 公開
[窪田順生ITmedia]

災害と大政奉還の関係

 このように言われてもなお、「巨大災害があっても日本人はこれまでなんども乗り越えてきた」「地震の被害と経済の問題は切り離して考えるべきだ」なんだと否定したがる人もいるだろうが、同書には、かつて日本でも巨大災害によって社会のあり方が根底からひっくり返った歴史的事実も紹介されている。

 それは、「大政奉還」である。

 「はあ? 幕府を倒したのは薩長同盟や、黒船などの外圧だと学校で習ったろ」とあきれる方たちも多いかもしれないが、幕府がこのような決断をした背景には、実は「自然災害」があるのだ。

 もともと、江戸幕府が慢性的な財政難だったのは有名な話だが、そこにトドメを刺すような巨大災害が幕末に相次いで起きていることはあまり知られていない。

 まず、1854年11月4日、5日とわずか31時間の間隔で、M8.4の巨大地震が起きた「安政の東海・南海地震」。この「前回の南海トラフ」によって、太平洋沿岸は壊滅的な被害を受け3万人が亡くなった。当時の日本の人口が3300万人ということを踏まえるとすさまじい被害である。

 東海や西日本が復興に動き出した翌55年、なんと今度は幕府のお膝元でM7クラスの「安政の江戸地震」が発生。そう、「首都直下型地震」が続いたのだ。これによって、幕府の施設や各藩の江戸屋敷は壊滅的な被害を受け、首都機能はまひしてしまう。

 財政難の中でどうにかカネをかき集めて、首都の再興を進める幕府だったが、弱り目にたたり目という感じで、その翌56年には、高潮を伴う巨大台風が江戸を直撃。この「安政の江戸暴風雨」によって、江戸の人口の1割である10万人が亡くなったという資料もあるそうだ。

 この3年間の自然災害ラッシュが、幕府の財政をさらにひっ迫させ、求心力の低下につながったことは容易に想像できよう。つまり、ここから11年後に起きた「大政奉還」というのは、もともと存在していた幕府の財政問題、そして諸藩の不満などが、自然災害によって一気に加速させられた結果である可能性が高いのだ。

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