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「また違法残業」の電通 過労死のリアルを理解しないトップに問う“責任”河合薫の「社会を蝕む“ジジイの壁”」(4/5 ページ)

» 2019年12月13日 07時00分 公開
[河合薫ITmedia]

 このときに生まれたのが「残業」という発想です。増え続ける残業に、心臓や脳が悲鳴を上げ、過労死する人を量産。医学の現場では同じころ、「過重労働による死」がいくつも報告されました。

 そこで、医師で旧国立公衆衛生院名誉教授の上畑鉄之丞氏(2017年11月9日没)が、遺族の無念の思いをなんとか研究課題として体系付けたいと考え、1978年に日本産業衛生学会で「過労死に関する研究 第1報 職種の異なる17ケースでの検討」を発表。過重な働き方による結末を「過労死」と呼んではどうかと提案したのです。

 新しい言葉は常に「解決すべき問題」が存在するときに生まれます。その言葉がよく当てはまる問題があちこちで起こり、何らかの共通ワードが求められるからです。そして、言葉が生まれることで、それまで放置されてきた問題が注目されるようになり、悲鳴を上げることができなかった人たちを救う大きなきっかけになります。

 「過労死」も例外ではありませんでした。

 上畑氏が学会発表した翌年から事例報告が相次ぎ、「過労死」という言葉は医師の世界から弁護士の世界に広まり、1988年6月、全国の弁護士・医師など職業病に詳しい専門家が中心となって「過労死110番」を設置。すると、電話が殺到したのです。ダイヤルを回した相談者の多くは、夫を突然亡くした妻。それをメディアが取り上げ「過労死」という言葉は、一般社会に広まりました。

遺族の悲しみから、過労死の問題が広まった

 遺族たちはその後も連携を強め、日本社会から過労死を根絶するための活動を推進。その活動がやっと実を結んだのが、2014年に制定された「過労死等防止対策推進法」です。

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