在庫はたくさんあるのに、なぜ“トイレットペーパー行列”ができたのかスピン経済の歩き方(3/7 ページ)

» 2020年03月03日 08時15分 公開
[窪田順生ITmedia]

非論理的な「みんな至上主義」

 「みんな一緒」を過度に求めるあまり、冷静に考えれば分かるようなことでもスコーンとどこかに飛んで、無意識に「みんな一緒」の行動、判断をしてしまう。そんな「みんなと一緒だったら地獄に落ちても安心」みたいな非論理的な「みんな至上主義」が危機発生時には事態をさらに悪化させる、ということは歴史が証明している。

 その分かりやすい例が「インパール作戦」である。

 およそ3万人が命を落とし、世界中の戦史家から、「太平洋戦争で最も無謀」とボロカスに酷評されるこの作戦は、世間一般的には「日本は神の国で絶対に負けない」と信じて疑わぬ大本営がゴリゴリ押して進められた、というようなイメージが強いがそうではない。

 実は日本軍の幹部たちもこの作戦が失敗する可能性が高いことはなんとなく分かっていた。が、「作戦を進めたいみんな」に引きずられる形で、「ま、ここまできたらやるしかないでしょ」みたいなふわっとしたムードの中で進められてしまったのだ。そのあたりは、歴史学者・戸部良一氏の『戦争指導者としての東條英機』(防衛省 戦争史研究国際フォーラム報告書)に詳しい。

 現地軍の苦境を知った大本営が、ビルマへ派遣した秦彦三郎参謀次長が帰国後、「作戦の前途はきわめて困難である」と報告したところ、東條英機は「戦は最後までやってみなければわからぬ。そんな弱気でどうするか」と強気の態度を示したと記録されている。と聞くと、「ほらみろ、こういうトップの暴走が悪いのだ」と思うかもしれないが、これは彼の本心ではなかったのだ。

 『この報告の場には、参謀本部・陸軍省の課長以上の幹部が同席していたので、東條としては陸軍中央が敗北主義に陥ることを憂慮したのであろう。このあと別室で2人の参謀次長だけとの協議になったとき、東條は「困ったことになった」と頭を抱えるようにして困惑していたという』(同上)

 実は東條英機もこれがいかに無謀な作戦なのか、ということは頭ではよく分かっていた。が、分かっちゃいるけどやめる決断を下せなかった。頭が悪いとか、根性がないとかではない。組織人として「みんな」に気を使ったのである。

 秦彦三郎によると、「インパール作戦は現地軍の要求によって始まった作戦であるので、作戦中止も現地軍から申請するのが筋である」(同上)という考えが大本営にあった。一方、大本営にいた佐藤賢了は、東條英機を「独裁者でなく、その素質も備えていない」として、こう評している。

 「特に責任観念が強過ぎたので、常に自己の責任におびえているような面があった」(佐藤賢了の証言)

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