在庫はたくさんあるのに、なぜ“トイレットペーパー行列”ができたのかスピン経済の歩き方(4/7 ページ)

» 2020年03月03日 08時15分 公開
[窪田順生ITmedia]

「みんな」という顔の見えない化け物

 責任感の強いリーダーは、「みんな」を引っ張って、ひとつにまとめるのは自分だという自負があるので、「みんな」がバラバラになることを極度に恐れる。東條英樹はそんな「調整型リーダー」の典型だった。だから、頭では、この無謀な作戦で多くの兵士が死ぬとは分かっていたが、中止を決断できなかった。「みんな」が望む作戦を中止するなんて、無責任なことはリーダーとしてできるわけがないからだ。つまり、「人命」よりも「みんな」を優先するという本末転倒な思考回路に陥っていたのである。

 このように戦争末期の軍部は上から下までいたるところまで「みんな至上主義」にとらわれていた。「みんな」が頑張っているのに、ここで撤退できるか。亡くなった「みんな」のために、潔く死んでこい。「みんな」を助けるため。「みんな」のために――。そんな感じで「みんな」という顔の見えない化け物に押しつぶされて思考停止をした。

 だから、終戦後にアメリカ軍や、世界の戦史家たちが、日本軍の命令系統を振り返ってみて驚いた。誰かが責任を持って命じたことではなく、個人の責任があやふやなまま支離滅裂な作戦が遂行されていたからだ。

 この悲しい歴史から我々が学ぶべきは、日本人は「みんな至上主義」に陥りやすいことだ。一致団結、ワンチーム、絆、オールジャパン、などの集団になったときに強さを見せる一方で、顔の見えない「みんな」に引きずられて個人の頭で考えることをやめてしまう。その結果、その象徴が戦争末期の国民スローガン「いくぞ、1億火の玉だ」である。「みんな」という言葉で思考停止をしてしまい、誰が言い始めたのかも分からない無茶苦茶な話でも、自ら進んで乗っかってしまうのだ。

 それが先日のトイレットペーパーパニックであり、今も続く「やり過ぎ自粛」の正体だ。

トイレットペーパーの在庫はたくさんあるのに……(出典:ゲッティイメージズ)

 新型コロナの影響で、ディズニーリゾートやUSJなどの大型テーマパークが休園し、大規模イベントが中止になっているが、そこまで多くの人が集まらないような小規模なイベントや、濃厚接触の恐れもない屋外施設などでも自粛が始まっている。ここまでやるのはおかしい、とどこかでみんな思っている。しかし、「自粛するみんな」に引きずられる形で、「とりあえず自粛しておくのが安全」という判断へ自然と流れている。誰に命じられるわけでもなく、そうしなくてはいけない法的根拠などどこにもないにもかかわらず、思考停止をして「みんな」のやることにただ黙って従っているのだ。

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