米国メジャーリーグには、「教えないコーチが名コーチ」という格言がある。最初から教えすぎてしまうと、選手自身の問題意識や、自らが考えようとする力を奪ってしまうとの思想に基づくものだ。実際にメジャーリーグのコーチは、コーチの側から選手に近づいていってあれこれ技術指導をすることはなく、逆に選手が疑問を持って聞きに行くと徹底的にアドバイスするのだという。
相手から求められてもいないのに、自らの充足感や承認欲求を満たすために一方的に助言しようとするのは、アドバイスではなく単なる「説教の押し売り」であり、到底相手のためになっているとはいえない。
逆の立場で考えれば、あなたが唐突に上司や先輩などから「こうすべきだ」などと言われたら困惑するだろうし、たとえそれがまっとうな意見だとしても、何となく煩わしく感じ、距離を置こうと感じてしまうかもしれない。
一方で、仕事で行き詰っているときに助言を求め、懇切丁寧にアドバイスを得られたなら、その相手に対して感謝や信頼をすることだろう。
あくまで大前提として、アドバイスは相手が必要とし、求められ、積極的に聞きたいという姿勢になったときだけにするものだ。そうすれば具体的なアクションにもつながり、良い結果が導き出されることにもなるはずだ。
「昔話」と「自慢話」も同様だ。やっていいのはそのテーマの話題を求められた時だけであり、自分から語り出すことほど痛々しいものはない。あたかも、現在の自分には他者から尊重も承認もされていないため、せめて過去の栄光だけでも認めてほしい、というあがきのようにも見えてしまう。
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