が、残念ながらこの目標は達成できなかった。売上構成比率は変わったが、売上目標は遠く及ばなかったのである。それがうかがえるのが、10年後の新聞報道だ。
『佐久間製菓の年間売上高は約37億円(95年9月期)。ロングセラーの「サクマ式ドロップス」が主力で、健康志向型商品はまだ全体の3割程度にとどまっている』(日経産業新聞 1996年2月19日)
なぜ「新たな柱」は育たなかったのか。答えはシンプルで、実は佐久間製菓が自分たちの「強み」だと考えて参入した分野というのは、他の多くのプレイヤーも自分たちの「強み」と考えて既に参入しており、激しい競争を繰り広げていた「レッドオーシャン」だったのだ。
例えば、同社が「佐久間の咳止めボンボン」を販売した62年というのは、4種の生薬を入れたドロップ「固形浅田飴クール」「固形浅田飴ニッキ」が発売された年だ。
浅田飴は大正時代から売られていたが、この商品が「せき・こえ・のどに浅田飴」というキャッチコピーとともにテレビCMで流されたことで、さらに人気となった。これを受けて、龍角散も67年に「龍角散トローチ」を発売している。
「競合」も既に動いていた。佐久間製菓が医薬品と健康志向品の製造ラインを増設していた84年からさかのぼること3年、81年にカンロ飴は「健康のど飴」を発売している。これは同社の沿革によれば、『菓子食品分野で初となる「のど飴」』だという。実際、これ以降、多くのメーカーが「のど飴」分野に参入していく。
つまり、佐久間製菓が「サクマ式ドロップス」に代わる「新しい柱」として期待していたジャンルは、既に多くの企業が同じことを考えて、続々と新商品を投入していた「激戦区」だったのだ。
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