「住みたい街」5年連続トップの横浜  住民だけでなく企業からも人気を博し続ける納得の理由(1/4 ページ)

» 2022年11月17日 06時00分 公開
[中川寛子ITmedia]

 横浜は不思議な街だ。図書館数、蔵書数や子どもに対する医療費助成などに文句を言う人が少なくない一方で「SUUMO住みたい街(駅)ランキング 首都圏版」(リクルート調べ)では5年連続トップに君臨し続けており、街としての人気は非常に高い。不満だけいわれる、愛されていない街もある中で、多少の不満はあったとしても、それ以上に愛されている街というわけだが、なぜ、そこまで愛されているのだろうか。

5年連続で「住みたい街」首都圏版トップの横浜市(出所:SUUMO住みたい街(駅)ランキング2022 首都圏版

 筆者は長らく疑問に思ってきたのだが、ある日、解決の糸口になりそうな出来事に遭遇した。それが2007年に“日本初”の地域アーツカウンシルとして生まれたアーツコミッション・ヨコハマ(以下ACY)の15周年イベントだ。ちなみに文化庁の定義を基にアーツカウンシルを説明すると、「芸術文化に対する助成を基軸に、政府と一定の距離を保ちながら、文化政策の執行を担う専門機関」である。

 アートを支援する団体のイベントということで、何となく絵画や彫刻など、美術館に飾られているようなものをイメージしていたのだが、展示されていた中には横浜の風景を写した写真も多く、「これがアート?」と首を傾げた。

 例えば、横浜駅西口の仮囲いや街中のあちこちにある歩行者案内地図、みなとみらいにあるグランモール公園、赤レンガ倉庫1号館のサイネージ、象の鼻パーク/テラス、横浜みらとみらい本町小学校、左近山アートフェスティバル、図書館で演劇を行う「テアトル図書館」、横浜市交通局広報誌ぐるっと――。

 もちろん、演劇やアートイベントも対象となっていたが、それと同じくらい、街中の建物、空間、サイン計画その他、私たちが日常目にするものが多く含まれていたのである。風景は自然にそこにあるものと考えがちだが、横浜ではそれが意図して作られてきており、文化芸術創造都市・横浜(文化芸術の創造性を生かした港町・横浜ならではの魅力づくり)という文脈で、その一端をACYが担ってきた。この「文化芸術創造都市」というコンセプトは、現在の横浜を形づくってきた「都市デザイン」の考えから派生している。

撮影/森 日出夫

米軍接収により復興が遅れた歴史

 横浜市における都市デザインの始まりは、1960年代にさかのぼる。空襲で市街地の多くが焼失、焦土となった戦後の横浜は港湾、中心部を長らく米軍に接収されていた。戦後すぐに復興を始められた東京、その他の都市に大きく水を開けられていたのだ。市内の企業は流出し、今では想像できないだろうが、横浜の中心部は雑草の生えた空き地だらけで関内牧場などと呼ばれていたりしたという。

 50年代には、高度経済成長期を迎えた東京のベッドタウンとして無秩序な市街化が始まり、45年に62万人だった人口は65年に178万人まで膨張、さらにその10年後の1975年には262万人と増加は続いた。未熟な住宅地の造設や急激な人口増加は、農地・山林の破壊、学校・保育園や道路・下水道などの不足を始め、鉄道や幹線道路の整備の必要、就業機会の創出その他さまざまな問題を引き起こした。

 そうした事態を受けて、横浜市は60年代後半に自律的な都市を構築していくために3つの基本戦略を打ち出していく。

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