基本戦略の一つは、65年に示された港北ニュータウン、地下鉄、高速道路やベイブリッジなどの「6大事業」である。
一方、街は公共のプロジェクトだけで作られるものではなく、民間の開発も数多く存在する。そこで、土地利用を適切にコントロールすることが2つ目の戦略として模索された。そして3つ目の戦略が、「都市デザイン手法の導入」である。この都市デザインによって、横浜らしい風景が作られてきた。
筆者が特筆すべきだと思うのは、ミニ東京になろうとするのではなく、横浜らしさにこだわって風景を作ってきたという点だ。60年代以降、多くの街ではユニバーサルな技術、経済合理性最優先がよしとされ、地方はどんどん均質化してきた。国が景観法を公布したのが2004年であり、一方、横浜市に都市デザイン担当セクションが誕生したのが71年と聞けば、意識の違いが理解できよう。
横浜市の桂有生氏(都市整備局企画部都市デザイン室)は、「横浜は開港の歴史と、その成果である新しいものを受け入れることをよしとしてきた街」と話す。
「古さ(伝統)では京都や高山に勝てない。新しいものだけでも東京に勝てない。海だけなら湘南に負ける。新しいものと古いもの、港を組み合わせることで横浜らしい風景をこの50年磨いてきました。当初から掲げていた、『個性と魅力のある人間中心の街』を作るという、当時からしたら異端のようにも聞こえた言葉が、50年たってようやく普遍的になってきたともいえます」(桂氏)
都市デザイン室には、最近まで、部署創設以来40年間にわたり都市デザイン行政に関わって来た国吉直行氏がおり、ノウハウを蓄積してきたことも大きいという。長期的な視野で、他にはない横浜らしい風景を作り上げてきた。
桂氏がいくつか挙げた例のうち、分かりやすいものをお見せしよう。一つは、関内の中心にあるシンボルロード、日本大通り。1866年に起きた大火の後に作られた日本最初の西洋式街路で、延焼を防止するため、幅員は36メートルもある。だが、04年のみなとみらい線整備時に再整備されるまでは単に広いだけの道路だった。
再整備に合わせ、歩道を広げて自然石舗装を施し、歩道と車道の間の段差を極力減らして安全に、かつイベント開催時には一体的に使えるようにした。車止め、照明灯などには重厚感のある鋳鉄を使って色味をダークグレーに統一。周辺の歴史的建造物と調和したデザインになっている。道路のアスファルトにも黄、赤、灰色の骨材を混ぜて周囲の建物などと調和するよう色彩を調整してあるという。
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