「僧にあらず俗にあらず」を体現する異色の僧侶、大愚和尚(たいぐおしょう)が、ビジネスにまつわる疑問、悩みを“仏教の視点を持って”解決。今回のテーマは「セクハラ・パワハラ」。嫌な上司、職場から逃げ出すことは“負け”なのか? 法整備がされても払しょくできない仕事の“闇”を、和尚が説く。
大企業は2020年6月1日、中小企業は22年4月1日からパワハラ防止法が施行されました。しかし、セクハラ、パワハラは職場から完全にはなくならないでしょう。道路交通法が改正され、厳格な取り締まり対象になってもあおり運転がなくならないように、法律が施行されたからといって、セクハラ、パワハラが職場から完全に消えるかといえば、そうはならないのが現実です。
古今東西、人間は弱いものをイジメてきました。体の大きい者。力が強い者。権力やお金、パワーを手にした者が、弱き者を虐げてきました。ハラスメントは、個人間でも、会社間でも、国家間でも、現時点で公然と行われている事実です。「弱肉強食」――これが自然界の摂理です。
厳しい自然界に生きる動物たちと同じく、知能が発達し、相互扶助の社会を形成しているはずの人間であっても、弱肉強食の現実は変わりません。もちろん法律ができたことで、抑止力になることは間違いありません。パワハラ防止法が浸透し、職場でハラスメントをする、される人が減ることは大いに歓迎されるべきことです。
しかし、どんなに厳罰を伴った法律が施行されても、現に国家間で戦争が起きているように、あおり運転がなくならないように、職場でパワハラ、セクハラが消えてなくなることはないのです。
なぜでしょうか。人間は「無知」な生き物だからです。
パワハラ、セクハラ加害者は、悪意をもって、自覚的にそのような言動をしている人ばかりではありません。自らの言動が、誰かを傷つけているということに「無知」なのです。「自分のことは自分が一番よく知っている」。そううそぶいて、自分では見えていない部分が、どうしてもあるのです。
人間は、全知全能の神ではありません。お釈迦さまは、人間は等しく平等だとおっしゃいました。何において平等か。「愚かさにおいて」です。だからこそお釈迦さまは、一人一人が「愚かさを自覚し、人格を育てること」を何より大切にし、弟子たちに教えを説かれたのでした。では、ハラスメントがなくならないという前提に立って、私たちができることは何でしょうか。
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