青森人気ラーメン店「ひらこ屋」が東京駅に 1号店閉店から県内1位に上りつめた哲学東京ラーメンストリートの舞台裏(2/4 ページ)

» 2023年01月13日 05時00分 公開
[河嶌太郎ITmedia]

「麺屋武蔵」に考えを変えられた

――独立する前に修業などはしていたのでしょうか。

 高校を卒業して最初は一般企業に勤めていました。22歳の時にラーメン店で修行して、そこでは店長まで任せてもらいました。その当時から自分の店をやりたい意志はあって、東京や全国のラーメンを食べ歩きたいと思っていました。独立するにあたってはさまざまなラーメンを研究しました。

――結局、青森では伝統的な煮干しを使ったラーメン店を始めています。

 自分はやっぱり青森が好きなんですよ。青森で自分がラーメン店をやるときに、どんなものがいいのか悩みました。それで、最終的にたどり着いたのが煮干しだったんですよね。

 実はひらこ屋を今の場所で05年12月に始める前に、02年の28歳の時に最初に出したお店が「雷門」というラーメン店だったんです。そこではイワシの煮干しではなく、サンマの煮干しを使ったラーメンでした。

――イワシではなくサンマにした理由はあるのですか。

 煮干しを使ったラーメンは小さい頃から苦手だったんですが、東京で「麺屋武蔵」という人気ラーメン店のラーメンを食べて考え方が変わりました。サンマの煮干しを使おうと思ったのは、ラーメンに自分の味作りを反映したい狙いもありました。

 青森のむつ市の加工業者にサンマの煮干しを作ってもらって、そこで自分のラーメン店を始めました。

――今の「ひらこ屋」はどういった狙いで開業したのでしょうか。

 「雷門」は煮干しを使ったラーメン以外にも、みそとか他の種類のラーメンも出していました。「雷門」で試行錯誤していくうちに、最終的には自分がやりたいラーメンは煮干しにこだわったラーメンだと思い、それで「ひらこ屋」を立ち上げました。

――今では「雷門」というお店はなく、その名前は企業名に残っています。

 「ひらこ屋」を出して31歳の時に、病気で2カ月間入院してしまったことがあったんです。その時に「雷門」は閉店することにしました。

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