マーケティング・シンカ論

日本より海外で有名!? 日清食品「出前一丁」が横浜中華街のレストランとコラボした狙い発売55周年(1/3 ページ)

» 2023年03月25日 04時00分 公開
[武田信晃ITmedia]

 日清食品は多くのインスタント麺のブランドを抱えている。その中で、「出前一丁」は2月に発売55周年を迎えた。世界40以上の国と地域で販売されている世界的なブランドである一方、日本ではチキンラーメンなど他のブランドがあるせいか、それほど大きな存在感を示せていないかもしれない。

 そんな状況を変えようと、出前一丁は4月2日まで、横浜中華街の香港飲茶専門店「招福門」横浜本店とコラボしている。今回のためにオリジナルメニューを開発するなど、日清食品は日本でのプロモーションに注力中だ。

出前一丁と「招福門」横浜本店がコラボ

香港では突出したブランド

 出前一丁は1968年に生まれ、半世紀以上が経過している。にもかかわらず、日清食品が抱えるチキンラーメン、日清ラ王など、多くの強力なブランドに比べると消費者からの印象は薄い。一方で海外に目を移すと、出前一丁は中国(香港を含む)、シンガポール、ドイツなど世界中で販売されている有名ブランドでもある。

 特に香港で出前一丁は、「国民食」と言ってもいいほどの人気を博している。筆者は2000年代の前半に、日清の香港支店と香港工場を2度ほど取材した。その取材ノートや記事を見返してみると、03年ごろに香港で売られていた出前一丁の袋麺の味は25種類で、カップ麺が6種類(筆者は、当時の取材企画のため全25種類を食べ比べている)だった。

 工場は香港向けと海外向けの両方の商品を担っていて、取材時は1日平均15時間の稼働で56万食を製造。米国、ベトナム、シンガポール、オーストラリア、南アフリカなどに輸出していた。これだけでも香港での出前一丁の存在感の大きさが分かる。

 なぜ、ここまでになったのか。筆者の取材と、香港について書かれた書籍『Meeting Place: Encounters Across Cultures in Hong Kong 1841-1984』によれば、その始まりは、出前一丁の発売当初、香港と神戸などにオフィスを構えていた香港の食料品会社「栄興(Wing Hing)」を経営していた湯栢栄さんが、香港で出前一丁を輸入販売したことだ。

 すでに香港で売られていたインスタントラーメンの「公仔麺」よりも価格が高いため、1店ごとに小売店に足を運び、店頭に置いてもらえるように営業活動をした。その他、公仔麺より価格が高いことから、値段に見合った質や味であることを証明するため、あらゆる場所で試食する機会を設けたのだ。その結果、販売初年度は10万食、翌年は20万食を販売したと、当時の取材ノートにメモしている。

 ちょうどその時代の香港は、経済的に豊かになり始めたころだ。ちょっとした贅沢(ぜいたく)を楽しめる余裕が出てきたこと、共働きが基本の香港にとって、調理が簡単であることがヒットの要因だろう。

 商品に使う「ごまラー油」は、中華料理ではよく使う食材のため、味の親和性も高かった。今では「1家に1台」ならぬ「1家に1袋」、香港人それぞれにこだわりの食べ方があると言っても過言ではない。

 象徴的な事例として、茶餐庁(ファミレスのようなところ)や車仔麺(麺や具材、スープを選んで食べる店)といった飲食店では、麺を出前一丁に変えることが可能で、しかもインスタント麺にもかかわらず、通常の麺より1〜2香港ドル高いという「逆転現象」が起こっている。

 プレミア化したブランド力の裏には、湯さんによる営業努力もあったかもしれない。

 その後、日清食品は1984年に現地法人を設立する形で香港へ進出。現地生産、現地販売を開始して現在に至っている。なお、香港日清は2017年に香港の証券取引所に上場した。

 日清食品の創業者である安藤百福の孫にあたる安藤清隆氏が、 香港日清の董事長を務めていて、日清食品にとって重要な位置を占めていることが分かる。

出前坊やの4色団子
       1|2|3 次のページへ

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.