世界最大の同人誌即売会「コミックマーケット(コミケ)」。毎年8月2週目の週末と年末に開催し、コロナ禍前は1日20万人の来場者を集めていた。その経済効果は1回で200億円以上といわれ、アマチュアだけでなく、多くの商業作家も参加している。
扱うジャンルは漫画だけでなく、評論や音楽、自作ゲームなど多岐にわたる。中でも高い人気を誇るのが、有名商業作品をファンが再解釈して漫画やイラストとして同人誌で売る「二次創作」だ。
作中では描かれない男女や同性のキャラクター同士の関係性を成人向けに赤裸々に描いたものが特に人気を博している(ただ、いわゆる成人向けの漫画を発表しているサークルの数は、そうでないサークルよりも少ない)。
中にはこうした同人誌だけで生計を立てている作家もいる。一方、こうした作品は著作権者に無許諾であり、その法的な在り方がしばしば議論されている。
このコミケの初代代表を務めたのが、ライターの霜月たかなかさんだ。霜月さんは、1996年から2001年にかけて『週刊少年ジャンプ』編集長を務めた鳥嶋和彦さんとの共著『Dr.マシリト 最強漫画術』(集英社)を上梓した。『DRAGONBALL(ドラゴンボール)』の鳥山明の才能を見いだした鳥嶋さんの半世紀近い漫画編集者のキャリアの集大成となる哲学が詰まっている。
前編に続き、霜月さんと鳥嶋さん、そしてコミケの共同代表の一人で、漫画出版社の少年画報社取締役の筆谷芳行さんと登壇した「同人誌vs商業誌〜壇上に出会いを求めるのは間違っているだろうか〜」の模様をお届けする。商業化するコミケの実態と、二次創作と出版社の関係を議論した。なお、イベントでの発言は全て「個人の見解」だ。
1980年代以降、商業誌の数が増え、コミケ以外にも同人誌即売会は増えていき、さまざまな表現の場が増えていった。コミケは、同人誌を買う人のことを「お客さん」と呼ばず、「参加者」と呼ぶ風習がある。このように商業性を遠ざけようとする一方で、作家にとっては表現の仕方だけでなくお金の得方も多様化している状況だ。この辺りの変遷や現在の状況について、まず霜月さんが話し始めた。
霜月: 自分たちがコミケを始めたときには、商業誌にない作品を読める空間としてコミケを作りたいという思いがありました。ところが商業誌とは別の表現空間を作りたいと思っていたのに、いつの間にか商業誌の人気作品のキャラクターを使って、それを同人誌のほうで、その原作者とは全く別のものに、つまり自分たちが好きなように描き換えてしまう状況が生まれました。いわば二次創作というものが出てきたのです。
出始めた当初は、それが一部だから良かったのですが、だんだんコミケの主流のような形で数が増えていきました。これが、僕が80年にコミケの初代代表を離れた一つの原因でもありました。その後もコミケは二次創作が主流になっていきました。
その時には僕はもうコミケを離れ、ライターとして商業誌のほうで仕事をしていたのですが「著作権はどうなっているんだろう」という思いがありました。要するに同人誌即売会という名目があって、そこで堂々と商業誌のキャラクターを使った作品が売られて流通しているわけです。それに対して出版社のリアクションが全然見えてこない。
80年代当時でも「著作権」という考え方はだんだん一般の人にも浸透してきて、意識に残るようにはなっていました。ですので、不思議だなという思いがあります。これが例えば日本でなく米国で、アメコミのキャラクターで同じようなことをしたら大変なことになります。その点、日本の同人誌における著作権の在り方が非常に特殊だという気がしています。なぜ日本の出版社はこうした二次創作に対して、強いアクションを起こさないのか。鳥嶋さんに伺ってみたかったわけです。
鳥嶋: 実は日本の出版社には著作権はありません。持っているのは原作を出版する権利です。出版社はそれを委任されている。特に雑誌に掲載するときに原稿料を払って掲載をする。これは原稿料とバーターですね。それからそれを単行本にするときに原作権、優先使用権の契約書を結んで単行本を出す形になります。
その後、単行本が何冊か出て、アニメ化などの流れが出てくると、こうした展開に向け、原作の権利の委任を一緒に出版社が受ける形になります。ですので基本的に、著作権に対する意識が希薄なんですね。
霜月さんがいま例に挙げた米国の場合、例えばマーベル社の場合は、出版社が作品の権利を100%持っています。ですから米国の場合は強い行動に出られるわけです。その点、日本は原作者から出版する権利を預かっているものなので、同人誌の二次創作に関しても「ああ物好きな人がいるね」とか「面白いことをやっているね」とか、最初はそういう感じだったんですね。
ただ、だんだんそれがポルノまがいのものなどが出始めると、原作者からのクレームが担当レベルにまで来るようになります。「これはこのまま放置しておいていいの?」という話が、編集部で出ていたのは覚えています。ただそれに対して、事を構えてどうこうするってことには、やっぱりならないんですね。なぜかというと、日々の作業が忙しくて、もっと他にやることがたくさんあったからです。
今でこそ出版社に「ライツ」という専門のセクションがありますが、それができるようになるのはその数十年後です。編集部の人間としては、自分たちが作っている漫画は、やがて連載が終わって消えていくものという意識もあり、作品の権利を運用するという考え方は、その当時にはなかったですね。
そもそも、僕も含めて僕より年上の世代で出版社に入るような人間は、活字ばかりに触れてきて漫画なんてよく知らない、読んだことのない人が大半でした。出版社には入りたいけれど、漫画なんてやりたくないっていう人が多かったのです。漫画編集部には僕を含めて「活字志望だけど有能ではない人間」を配属していたわけです。なので、自分たちの漫画への愛着も低かったんですね。
だから、最初から漫画がやりたくて編集部に入ってくる人が増えてくると、編集部の空気もだんだん変わってくるわけです。例えば僕のあとに『ジャンプ』の編集長になった高橋俊昌という編集者がいるんですけど、彼は割とマインドはコミケ寄りなんですね。彼と一回、「コミケは許容できるか」という議論を半日ぐらいしたことがありました。単行本、雑誌を含めて支えてくれている人たちは作品のファンであり、それを著作権の問題だけで切っていいのかというのが彼の主張でした。
一方で僕は、0から1を作る漫画家さんの、現場作業の大変さを知っています。『ジャンプ』の誌面で連載が続いて人気作になり、二次創作でも扱われるような作品がいかにごく一部かもよく知っていたので、その苦労に対してイージーに乗っかって出すことがいいのかと思いました。ただ結局は日々の忙しい業務の中で、会社の中で、表だって動いたりすることもなしに今に至っています。
筆谷: フィギュアやガレージキットを中心に扱う海洋堂主催の即売会「ワンダーフェスティバル」では、1日だけ有効の「当日版権システム」を採用しています。これは権利を持っている出版社やメーカーに対して、事前に「このガレージキットなどを作っていいですか」というお伺いをしているんですよ。でもそれは何でもOKではなくて、書類を出してもらって審査をする形なんですよね。参加者版権使用料を払う形になります。この「当日版権システム」のやり方は素晴らしいと思う一方、これを同人誌でやるととんでもない手間になるんですよ。
例えば8月の夏コミケだったら、たぶん3月ぐらいに夏コミに出す予定の二次創作同人誌を全部決めなくちゃいけない。それも全部OKではなくて、先ほど鳥嶋さんがおっしゃったように、例えばHなやつは恐らく全て駄目です。それで楽しい、面白いことができるのかと思うところもあります。
あと僕は、自分のいる出版社で、商業アンソロジーコミックを全部OKにしたことがあるんですよ。アンソロジーコミックというのは、自社の漫画作品の二次創作を、版元の許諾を受けて、違う出版社の違う作家から出す形式の漫画ですね。でもそうしたら、まさに本業に影響が出るんですよ。アンソロジーコミックのプロットやネームの確認原稿が毎日FAXで大量に送られてきて、朝会社に来ると100枚200枚チェックしなければならなくなりました。
なので、許諾制にしてチェックするというのも無理だなと思いました。でもだからといって、じゃあ無許可でどんどんやっていいよとは言えない部分もあります。『ジャンプ』作品でも当時アンソロジーコミックが出るようになりましたが、鳥嶋さんはどう見ていましたか。
鳥嶋: 「あるな」ぐらいですね。集英社の近所の書泉グランデにも同人誌のコーナーができたときは「困ったな」と思いましたね。ただやっぱり、こういう言い方をすると終わりだけど、慣れてきましたね。僕がさすがだと思って衝撃を受けたニュースが、1999年に任天堂が同人誌作家を訴えたことですね。これには任天堂の覚悟と、企業の在り方を感じました。
任天堂とは『ドラゴンクエスト』の堀井雄二さんと「ファミコン神拳」のページを連載していたとき、ファミコンのディスクシステムの取材をさせてくれないかと広報にかけあったことがあります。任天堂とちょっと距離が遠かったのもあったのですが、広報に「ファミコン神拳」のページを出した途端に「こういうのを今後、取り締まろうと思っているんだ」と言われたことを覚えています。これが任天堂の企業カラーというのは感じていました。
筆谷: 同人誌に対抗するような形で、商業アンソロジーコミックも増えていくわけなんですけど、この場合はメリットもあります。アンソロの場合、商業流通なので日本中の本屋さんでその本が売られるという点です。このアンソロジーコミックが同人誌の世界の入口にもなったのは、僕は否めない事実だと思うんですよ。
『キャプテン翼』『聖闘士星矢』あたりからスタートして、東京・大阪・名古屋・福岡などの大きな同人誌即売会に参加できない人でも、漫画がたくさん売られている書店さんにはアンソロジーコミックも大量に売られていました。アンソロコミックのサークル紹介の通信販売コーナーから、同人誌の世界を知っていくファンも多くいました。アンソロコミックの影響を受けて同人誌作家になって、そこからプロになった人たちもたくさんいました。
霜月: コミケを作った第1世代からすると、商業誌とは別の漫画の世界を作りたかったという思いがあります。だから二次創作が同人誌の主流になったとき「同人誌は商業誌に負けたな」と思いました。要するに、商業誌をさらにもてはやすための販促ツールとして同人誌が扱われる時代がきてしまったと。結構、悲しかった感じがあります。
ただし一方で、そういう二次創作の同人誌を通して、今度はオリジナル作品を描いてプロの商業誌に行く作家がたくさん生まれてきたのも事実です。よくよく考えると、誰だって漫画やキャラクターを描き始めるときは、最初はプロの漫画をまねして描くわけですよ。いきなりオリジナルを描けるような小学生はいません。物まねから漫画が始まるという見方をすれば、二次創作を否定する理由には必ずしもならないと思います。
とはいえ、これは今年72歳になる老人の独り言ではあるのですが、二次創作が主流になってしまったことで、本当に同人誌だけでしか表現できない世界が消失したという意味においては悲しいものがありました。もっとも、同人誌を作る世代そのものが変わっているので、時代の流れとして受け止めざるを得ません。
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