1951年に公金を投入して「ユースホステル」を各地に建て始め、1955年には文部省が「青年の家」をスタート。1956年には全国の観光地に「国民宿舎」を続々と建設し始め、1961年には国立公園内でレクリエーションが楽しめる「国民休暇村」も設置された。
つまり1948年に生まれたこの大型連休は、国民所得が上がっていく中で、日本政府が「みんな同じ日に休んで、みんな同じように旅行やレジャーにいきましょう」という啓発や消費喚起の側面もあったのである。本質的なところでは、コロナ禍で観光業を応援しようと政府が仕掛けた「Go To トラベルキャンペーン」とそれほど変わらないものなのだ。
ただ、物事には良い面もあれば悪い面もある。GWの設定による「みんな同じ日に休んで、みんな同じように旅行やレジャーにいきましょう」という国民啓発の効果が絶大なゆえ、政府が想定していなかった「副作用」を観光地に引き起こしてしまう。
それが他でもない「旅行需要の季節変動が激しい」という問題である。GW期間中は、全国から観光客が大挙として押し寄せて猫の手を借りたいほど忙しいのに、それ以外の季節は閑古鳥が鳴くほどヒマになってしまうのだ。
これは日本人の「昭和の働き方」が大きく関係している。ご存じのように、高度経済成長期からバブル期にかけての時代、サラリーマンが「有給をとって旅行に行きます」なんて言おうものなら、上司から「このクソ忙しいのにナメてんのか? 帰ってきたらお前の席はないと思え」なんてキレられるのが常だった。
昭和の日本人はサービス残業や休日出勤は当たり前で、罪悪感なく休めるのは年末年始と盆休み、そしてGWしかなかったのだ。
「みんなが働いている時に休むのはサラリーマンの風上に置けない」――。そんな軍隊のような働き方をしていた日本人に、「みんな同じ日に休んで、みんな同じように旅行やレジャーにいきましょう」という思想教育は政府が期待していた以上に突きササり過ぎてしまったのだ。
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