AIを使ってSaaSを再構築する際、多くの企業が選ぶのはチャットUIである。AIとの対話窓口を前面に出し、その裏側でSaaSが動く。一見、自然なアプローチに思える。
だがLayerXは、この道を選ばなかった。
松本氏は、現在のLLMの特性を指摘する。「今、LLMと話すときは基本的に文字だけだ。だが人間の仕事は、もっと多様な道具を使う。ファイルを作る、データベースに書き込む、PDFと処理結果を見比べる――。いろいろな道具を使うから、人間同士のやり取りはシンプルになっている」
LayerXのアプローチは、SaaSの外からAIで操作するのではない。SaaSのネイティブなUIの中に、AIを自然と組み込む設計だ。ユーザーがいつも通りSaaSを使っていると、必要な場面でAIが作業を補助する。
例えば請求書の処理だ。チャットで「この請求書を処理して」と指示するのではなく、請求書をアップロードすると、SaaSのUI上でAIが自動的にデータを抽出して表示する。元の請求書と抽出したデータが対比して表示されるため、「どこからその答えを持ってきたのか」が一目で分かる。
人間が「ここは違う」とUI上で修正すれば、その情報がAIの学習材料となり、次回以降の精度が上がる。このやり取りは、全てSaaSのネイティブUI上で完結する。チャットという別の窓口を介さない。
「エージェントにSaaSが置き換えられる、のではない」。松本氏は強調する。「一人一人が自分の手元にエージェントという部下をたくさん作り、そのエージェントと一緒に仕事をする。そうすることで生産性が上がる。誰かがいなくなるのではなく、人とエージェントが共に働くことが重要だ」
この「共に働く」を実現するには、エージェントが人間の業務の流れに自然に溶け込む必要がある。チャットUIでは、業務の流れとAIとのやり取りが分断される。SaaSのネイティブUIにAIを組み込むことで、その分断を解消できる。
UI設計の違いは、表面的な問題ではない。どこにAIを配置するかは、「AIをどう業務に溶け込ませるか」という本質的な問いに直結する。LayerXの選択は、SaaS企業ならではの強みを生かした答えだ。
業務の現場に入り込み、日々蓄積されるデータとやり取りから学習し続ける。この循環を回せるのは、SaaSのネイティブUIだからこそである。
LayerXが目指すのは、業務の「完全自動運転」である。だが、その実現には段階的なアプローチが必要だ。松本氏は、自動化を5つのレベルに分けて説明する。
レベル0は従来の業務形態だ。紙やPDFを受け取り、人間が手でデータベースに書き込む。レベル1では、OCRのような技術で請求書のデータを抽出するなど、特定の小さな業務をAIが担う。ここまでは、人間が主体でAIが補助する段階である。
レベル3以上になると、主客が逆転する。AIが主体となって業務を遂行し、人間がそれをサポートする形だ。レベル3では、AIが一通りの仕事をこなすが精度はまだ低く、人間が細かくチェックして修正する。レベル4では、異常がない限りAIが自律的にゴールまでたどり着く。そしてレベル5――異常が発生してもAI自身が対処できる、完全な自動運転の状態だ。
業務自動化の5段階。レベル2では複数の条件を組み合わせた自動化が可能になり、会社の運用に沿った必要事項を自動入力できる。レベル3では限られた条件下でシステムが自動的に業務を完遂し、定期的な支払い業務などカレンダーに登録された情報から自動で出張申請が作成される。LayerXは現在、レベル3から4への移行に注力している。レベル4に到達すれば、通常の運用範囲内では人間の関与なしに業務が完結し、一般的な出張の手続きは自動完了、社内規定に沿った範囲を超えた場合のみ人間が対応する形となる「今、 われわれはレベル3から4の段階をどう実現するかに取り組んでいる」。松本氏はこう語る。
この段階を突破する鍵が、「AIオンボーディング」である。LLMはパブリックなデータで学習しているため、企業特有の業務は知らない。会社ごとの承認フロー、経費精算のルール、取引先ごとの請求書フォーマット――。こうした固有の知識を、どうやってエージェントに教え込むか。この仕組みづくりが、レベルを上げるための前提条件となる。
LayerXが示したのは、データとコンテキストを持つSaaSこそが生成AI時代の優位に立てるという事実だ。特に、生成AIの代名詞ともなっている「チャット」は、必ずしも業務向けUIの最適解ではないという考え方は、目からウロコでもある。
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