「潰れたって聞いたよ」 倒産寸前から年商2.5億円へ、二度の経営危機を乗り越えた「トタンバケツメーカー」(1/6 ページ)

» 2026年06月18日 07時30分 公開
[野内菜那ITmedia]

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 雨の日のセブン-イレブン。店頭に置かれた「トタン製の傘立て」を見かけたことはないだろうか。

 その傘立てを作っているのは、兵庫県姫路市にある社員13人の小さな町工場、渡辺金属工業だ。1923年創業の同社は、日本に残る最後の「トタンバケツ専門メーカー」でもある。

渡辺金属工業。同社によると、日本に残る最後の「トタンバケツ専門メーカー」だという(画像:筆者撮影)

 トタンバケツとは、亜鉛メッキを施した鋼板を加工して作る金属製のバケツだ。丈夫で長持ちする上、重厚な見た目に反して手に取ると意外と軽い。しかし、価格は高いため、1970年代に軽くて安価なプラスチックバケツが急速に普及すると、その需要は激減した。同社も例外ではなく、一時は年商500万円にまで落ち込み、存続の瀬戸際に追い込まれた。

左が昔ながらのトタンバケツ(左)、セブン-イレブンで傘立てとして採用されているオバケツ(画像:渡辺金属工業提供)

 「どうにかせなあかん」と開発したのが、自社ブランド「OBAKETSU(オバケツ)」だ。大ヒットを果たし、数年で2億円を売り上げるまでに成長。倒産寸前だった会社を立て直したものの、一息つく間もなく、次の困難に直面する。海外製模倣品の流入によって、再び経営危機に陥ったのだ。二度目の危機を救ったのは、意外にも「米びつ」(炊飯用の米を保管するための容器)だった。

 廃業寸前から二度の復活を遂げ、現在は社員13人で年商2.5億円を売り上げる。日本最後のトタンバケツ専門メーカーは、なぜ生き残ることができたのか。4代目社長の渡辺政雄氏に話を聞いた。

4代目社長の渡辺政雄氏(画像:筆者撮影)

トタンバケツの需要だけで売り上げが立つ時代

 1923年(大正12年)、渡辺氏の曾祖父が「渡辺製作所」を創業した。昭和までは学校や家庭、工事現場などで水汲み用にトタンバケツが広く使われており、需要が旺盛だった。販促活動をしなくても売り上げが立つ時代だったという。

 渡辺氏にとって家業の記憶といえば、休みの日でも朝から晩まで工場でバケツを作り続けていた3代目の父の背中だ。

祖父の頃の渡辺金属工業の様子(画像:渡辺金属工業提供)

 特に印象深いのが夏休みの工作だった。工作の宿題に、職人の父は当の息子以上に熱中した。工場の専用機械を使い、空き缶を切り貼りしたクーラーボックスや、足でペダルを踏むと空き缶を押しつぶせる「空き缶潰し器」など、小学生の工作の域を超えた作品を次々と生み出した。

 「常に仕事に意識を向けながらも、子どもの宿題に熱中してしまう父の姿を、かっこいいなと尊敬していました」

 また、祖父から「男の子だ。跡取りができた」と物心がついたときから聞かされてきた。スーツ姿のビジネスパーソンに憧れた時期もあったが、周囲の期待に応えることが好きだった渡辺氏は家業を継ぐ未来を自然に受け入れていた。

 だが、その頃の会社は存続の危機に直面していた。

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