「貴社のクラウド移行、“悪手”です」 価値あるクラウド移行のための「2つの条件」甲元宏明の「目から鱗のエンタープライズIT」

オンプレミスからクラウドに移行する企業が増える中、筆者はクラウド移行には「悪手」が存在すると言います。Slerに勧められるままに“何となく”クラウド移行する前に押さえるべき2つの条件とは。

» 2023年08月10日 10時15分 公開
[甲元宏明株式会社アイ・ティ・アール]

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この連載について

 IT業界で働くうちに、いつの間にか「常識」にとらわれるようになっていませんか?

 もちろん常識は重要です。一生懸命に仕事をし、新しく出会ったさまざまな事柄について勉強した結果、身に付いたものだからです。

 ただし、常識にとらわれて目の前にあるテクノロジーやサービスの実際の価値を見誤り、的外れなアプローチをしているとしたら、それはむしろあなたの足を引っ張っているといえるかもしれません。

 この連載では、アイ・ティ・アールの甲元宏明氏(プリンシパル・アナリスト)がエンタープライズITにまつわる常識をゼロベースで考え直し、ビジネスで成果を出すための秘訣(ひけつ)をお伝えします。

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クラウド移行の“悪手”とは?

 前回は、「"成り行き"マルチクラウド」問題について書きました。今回のテーマは「クラウド移行」です。筆者は日本のクラウド黎明(れいめい)期から一貫してクラウドの価値を訴え、数多くの国内企業にクラウドの価値を説いてきました。しかし、クラウド活用はどんなかたちでも良いわけではなく、“悪手”は多く存在します。

 「システム単位のクラウド移行」は中でも代表的な“悪手”です。

再考すべきシステム単位のクラウド移行

 この10年ほど、国内では既存オンプレミスシステムのクラウド移行が盛んに行われています。ITインフラのモダナイゼーションのためにクラウドは有用ですが、ITインフラだけモダナイズしても、アプリケーションが従来のままではユーザーに何のメリットもないことは論をまちません。しかし、このようなクラウド移行をDX(デジタルトランスフォーメーション)やモダナイゼーションだと考えている企業は多く存在します。

 IaaS(Infrastructure as a Service)への移行であればまだマシな方で、はるか昔から存在するUNIXやオフコン(オフィスコンピュータ)のホスティングサービスを「クラウド」や「モダナイゼーション」と称しているSIerも存在します。レガシーOSのままでサーバの場所が変わっただけの移行を「DXの一環」と掲げるのはいかがなものでしょうか。結局、ITインフラだけのクラウド移行は、サーバの場所がオンプレミスから他事業者に変わっただけにすぎないといっても過言ではありません。

 「IaaSに移行すれば、サーバハードウェアの保守作業やベンダーサポート切れのための入れ替え作業は不要になる」という反論もあるでしょう。もっともな話ではありますが、それにどれだけの価値があるでしょうか。

 これまでオンプレミスサーバの運用・保守をSIerに委託してきた企業が、IaaS移行に伴って運用・保守を全て自社要員でまかなうのであれば、コスト削減とスキル蓄積というメリットが生じます。しかし、大方の企業はIaaS移行後も既存SIerに運用・保守を委託します。結局、クラウド移行によるコスト削減効果は小さく、経営者やビジネス部門から見れば、「IT部門の都合で進めるプロジェクト」という印象を持たれても仕方がないように感じています。

なぜクラウド移行するのか

 そのそも、なぜクラウド移行するのでしょうか。

 クラウドの価値を十分に生かせる移行であれば積極的に推進すべきですが、ITインフラだけのクラウド移行でそれはかないません。クラウド移行を急ぐ企業は経済産業省がうたう「2025年の崖」をよくその理由に挙げます。しかし、このキラーワードのきっかけとなった「DXレポート」で問題としているのは「既存システムのレガシー化」であって、「ITインフラのレガシー化」ではありません。

 既存オンプレミスシステムのクラウド移行を経験した人はお分かりの通り、クラウド移行は容易ではないのです。特に大企業の基幹系システム(会計、人事給与など)や業務系システム(生産管理や受注販売、物流管理など)のシステム構成は巨大かつ複雑で、クラウド移行には大変な労力が必要です。また、クラウド移行時のテスト項目も膨大で、IT部門の担当者だけでなくビジネス部門のユーザーにも協力を仰ぐ必要があります。

 IT部門が暇なのであれば、ITインフラだけのクラウド移行を進めるのも良いでしょう。しかし現在、IT部門の業務は山積状態で、経営者やユーザー部門から大きな期待を持たれています。そのような時に自社にとってメリットが少ない形態のクラウド移行の優先度は下げるべきだと筆者は考えています。

 現行ハードウェアやサーバOSのサポート切れの延命策として、クラウド移行を実施する企業も多く存在します。しかし、クラウド移行以外にもユーザー企業の負担が少ない延命手段はいろいろあります。あえて大変な労力が必要なクラウド移行を選択する必要はありません。

改めてクラウドの真の価値をきちんと理解しよう

 前回、筆者はクラウドの価値は「スピード」「アジリティ」「イノベーション」の3つだと述べました。今回は、これをもう少し堀り下げたいと思います。筆者の所属するITRによるクラウドの定義とそのビジネス価値を次の表にまとめました。

ITRによるクラウド定義(出典:ITRの提供資料) ITRによるクラウド定義(出典:ITRの提供資料)

 ITRが考えるクラウドの定義は「オンデマンドセルフサービス」「多種多様なネットワークおよびデバイスのサポート」「リソースプール」「オートスケール」「サービス利用状況の計測/レポート」「プログラム可能なインフラ」「従量課金」の7項目から構成されています。各項目にユーザー企業にとってのビジネス価値を明記しています。

 大手クラウド事業者のサービスはこれらの全ての項目を満たしています。ITインフラだけのクラウド移行では、アプリケーションがクラウドの定義に従っていない限り(ほとんどの既存オンプレミスアプリケーションはこれに該当します)、クラウドの価値は享受できないのです。

 ちなみに、前述のUNIXやオフコンのホスティングサービスは、これらの項目を一つも満たしていないものがほとんどです。これでは「クラウドサービス」とはいえません。では、クラウドの良さが全く生かせないにもかかわらず、クラウドに移行するのはなぜでしょうか。

 筆者は、現行SIerの提案に乗って「"何となく"クラウド移行」や「"崖から落ちないための保険"としてのクラウド移行」を選択したユーザー企業が多いと見ています。クラウド移行以外のさまざまな選択肢を検討し、現行SIer以外のSIerにも相談した結果、クラウド移行を選択した企業は少ないのではないでしょうか。

自社クラウドコンピューティング構想実現のためのクラウド移行

 もっとも筆者はクラウド移行を全て否定しているわけではありません。では、クラウド移行に大きな価値があるのはどのようなケースでしょうか。筆者は次の2つのケースではクラウド移行に大きな価値があると考えています。

  1. 現場ハードウェアとの密接な連携や、ミリ秒単位の高速レスポンスが必要なシステムなど「オンプレミスで稼働すべきシステム」以外の全ての既存システムを一気にクラウド移行する
  2. これまで複数SIerが担当してサイロ化していたITインフラを単一の統合された環境下で自社運用する

 これらの場合、ITインフラ運用の統合やクラウドならではの自動運用が実現できるからです。

 価値のあるクラウド移行にするためには、自社が何の目的でクラウドコンピューティングを活用し、どのようにして自社アプリケーションのビジネス価値を上げていくのかといった将来構想を明確化する必要があります。このような構想は経営層やビジネス部門も理解しやすいでしょう。将来構想が不明確なままシステム単位でクラウド移行を行うのではなく、自社のクラウドコンピューティング構想に沿ってクラウド移行を進めるべきだと筆者は考えています。

筆者紹介:甲元 宏明(アイ・ティ・アール プリンシパル・アナリスト)

三菱マテリアルでモデリング/アジャイル開発によるサプライチェーン改革やCRM・eコマースなどのシステム開発、ネットワーク再構築、グループ全体のIT戦略立案を主導。欧州企業との合弁事業ではグローバルIT責任者として欧州や北米、アジアのITを統括し、IT戦略立案・ERP展開を実施。2007年より現職。クラウドコンピューティング、ネットワーク、ITアーキテクチャ、アジャイル開発/DevOps、開発言語/フレームワーク、OSSなどを担当し、ソリューション選定、再構築、導入などのプロジェクトを手掛ける。ユーザー企業のITアーキテクチャ設計や、ITベンダーの事業戦略などのコンサルティングの実績も豊富。

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