前回の小説部分で、中田玲子は「コンプライアンスヘルプライン」を通じて、河田の行為を通報している。河田の行為は明らかにコンプライアンス違反であり、中田玲子の告発は正しい問題意識に基づく妥当な通報である。
通報者の問題意識が高まるにつれて、「コンプライアンスヘルプライン」を運営する部署の対応にも、いままで以上の正確性と迅速性、そして真摯(しんし)な取り組みが求められてくるだろう。
そのためには、「コンプライアンスヘルプライン」の担当者の“聴き取りスキル”を高めたり、過去の通報事例についてその内容や通報元などを分析し、自社のコンプライアンス問題の傾向を割り出したり、部署全体で通報内容やその対応方法および結果などを共有して経験値を高めるなどの、より一層の努力が必要になる。
それと同時に、「コンプライアンスヘルプライン」を運営する部署は、被通報者による通報者に対する報復にも注意を払わなければならない。
被通報者は、通報者を知った場合に何らかの報復をする可能性が高い。そのような報復行動は、できる限り未然に防ぐべきであり、不幸にも実際に報復が行われた場合には、あくまでも通報者を保護し、報復行動を起こした被通報者に対しては、何らかの処罰をするべきである。
被通報者の報復行動は、コンプライアンス体制をつぶすものであり、それに対して毅然(きぜん)とかつ厳格に対処しなければ、自社のコンプライアンス体制を維持することは不可能である。
補足的な解説を述べる。
前回の小説部分では、河田の「裏金作り」を中心的なモチーフにしている。刑法的にいえば背任罪の疑いもあるが、コンプライアンスの観点から見ると「公私混同」という極めて危険な要素を含んでいる。
なぜ「公私混同」が危険要素なのか。それは、「公私混同」は必ずエスカレートするからである。
過去に報道された横領事件を思い出してほしい。
それらの犯人は、何千万円とか何億円とかいった金額を横領していたが、彼らは一度の行為でそのような金額を横領したのだろうか。いや、ほとんどすべての犯人は、最初は小さな金額から始めて、それがバレなかったことをいいことに、徐々に金額も回数も増えていき、捕まるころには何千万円とか何億円とかいった金額になっていたのである。これが「公私混同」のエスカレートの典型的な例である。
「公私混同」は、いろんな姿で表れる。作中の河田の「裏金作り」は典型的な公私混同だが、現金絡みだけではなく、自分で辞めさせた部下の補充として、以前の職場から腹心をリクルートしてくるという行為もまた、一種の「公私混同」であろう。また、会社の文房具を私物化するのも、会社での地位を私生活上の便宜を図るために利用することも、すべて「公私混同」である。
「公私混同」がエスカレートした先には何があるか。それは「企業不祥事」である。
企業不祥事を起こしてしまった会社はマスコミのえじきとなり、世間に知れ渡る。すると、その会社は正しい営利活動を継続していくために必要な社会的信頼を失うことになる。
その意味で、「公私混同」はコンプライアンス上、極めて危険な要素なのである。
【次回予告】
次回は、「契約法務」をテーマにした問題を紹介します。出世を焦った社員が取引業者に対して、イジメともとれる強引な契約をせまります。このような行為はどういったコンプライアンス上の問題があるのでしょうか。実際にコンプライアンスの観点から分析し、分かりやすく解説します。ご期待ください。
▼著者名 鈴木 瑞穂(すずき みずほ)
中央大学法学部法律学科卒業後、外資系コンサルティング会社などで法務・管理業務を務める。
主な業務:企業法務(取引契約、労務問題)、コンプライアンス(法令遵守対策)、リスクマネジメント(危機管理、クレーム対応)など。
著書:「やさしくわかるコンプライアンス」(日本実業出版社、あずさビジネススクール著)
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.