基幹系へのクラウド活用、そのメリットと落とし穴中堅・中小企業のためのERP徹底活用術(10)(2/2 ページ)

» 2011年09月08日 12時00分 公開
[鍋野 敬一郎,@IT]
前のページへ 1|2       

海外での“共闘”も視野に入れた、クラウド活用への挑戦

 さて、以上のように同じパッケージでありながら、その仕様も運用もバラバラになっていたJ社ですが、いよいよバンコク工場のシステム再構築を柱に、海外拠点の生産管理システムの見直しに乗り出します。その際、達成すべきテーマとして以下の5つを設定しました。

  1. 属人化を排除し、全拠点で共有でき、生産管理の標準化を実現できるシステム
  2. 顧客や代理店と双方向コミュニケーションがとれ、サービスで差別化が出せること
  3. ITコスト3割削減、特に保守運用コストを重点的に見直すこと
  4. 各国ごとの個別要件に柔軟に対応できること(言語、通貨、機能要件など)
  5. 本社との情報連携を強化し、全拠点の生産状況を即時把握できること

 J社はこれらをどのように実現していくのでしょうか。引き続き、事例に戻りましょう。

事例:中堅メーカー、J社のクラウド活用〜後編〜

 バンコク工場の新システム導入に当たって、経営企画部が要件を洗い出す作業を主導し、外部コンサルタントの協力を得ながら半年を掛けて要件定義書を作成した。情報システム部も作業に参画して、国内外の全拠点のExcelシートや管理文書、システムドキュメントを洗い出し、必要最低限、標準化すべき管理帳票の洗い出しと絞り込みを行った。業務要件の見直しについては、経営企画部が現場の熟練管理者や工場長と協議して標準化の仕様を固めていった。

 その結果、既存のバンコク工場のシステムは、当時コストを掛けて開発しただけのこともあり、「7割方の機能はそのまま利用できる」と評価された。不足する機能についても細部まで検討され、業務の見直しも含めて実現可能な要件仕様を作成することができた。

 これを踏まえて、情報システム部が具体的なシステム仕様についての絞り込みを行った。その結果、「ERPパッケージを利用したシステム導入を行う」か、あるいは「クラウド基盤(PaaS)上でシステム開発を行う」かのいずれかに意見が別れた。

 まずERPパッケージを利用した場合、必要な機能の大半は標準機能を利用することが可能であった。利用するERPパッケージは、現在、日本国内の工場で導入されているものなので、導入も運用も情報システム部門に蓄積されたノウハウを生かすことができる。この考え方は大手企業と同じ考え方であり、リスクの少ない手段でもあった。情報システム部門の大半はそう主張した。しかし経営企画部と一部の情報システム担当者は、クラウド基盤(PaaS)を利用したシステム再構築を強く主張したのであった。

 その理由は、コストと運用サポート体制にあった。バンコク工場にERPパッケージを使った生産管理システムを導入するのは確かに失敗のリスクが低い。しかし、システム稼働後の運用サポート体制を現地で確立するのは容易ではない。実際、J社の国内工場にERPパッケージ導入を行ったITベンダは、海外でのビジネス経験がなかった。だからこそ、10年前の現地システム導入は難航を極めたのであった。

 また、ERPシステムの稼働に成功しても、その運用サポート体制を現地で確立するためには、最低でも2?3名の情報システム担当者が常駐する必要があった。今後、他のアジア工場へ同様のシステムを展開する場合、同様に現地へシステム要員を置く必要があり、長期海外駐在が可能なシステム要員が限られていることからも、これは難しいと思われた。海外生産拠点のシステムは可能な限り現地採用の社員で運用する必要があるのだが、「システム運用に対する考え方が各国で大きく異なる」というのは、前回の失敗で学んだところである。

 そして、最大の問題点がコストであった。ERPパッケージの追加ライセンス費用、パッケージ導入費用は当然として、年間保守料や現地の運用サポート体制のコストを試算すると、社長から要求されたテーマである「ITコスト3割削減」は不可能であった。むしろ、3割以上コストアップの可能性が高い。さらに将来ベトナムやインドネシア工場へシステムを展開した場合、コストはさらに増大するのである。

 最終的な判断を下すために、J社では社長も交えた関係者全員で合宿を行った。そして議論を尽くした上で、社長は次のような結論を出した。

 「J社が大手競合メーカーや海外競合メーカーと互角に戦うためには、新しい技術を積極的に使いこなして差別化を図る必要がある。クラウド基盤を使った生産管理システムは前例も少なくリスクもあるが、他拠点への展開スピードやランニングコストに優位性があり、チャレンジする価値がある」

 「さらに、このシステムを積極的に同業他社へ提供したい。われわれ同様に、同業の中堅メーカーも海外生産へシフトするのは確実である。国内では限られた市場を取り合う競合であったが、厳しい海外市場では共闘も念頭に置く必要がある。そのきっかけとして、まずわれわれがシステムを提供することが有効であると思う。また、まだまだ海外市場では知名度の低いJ社の強みである樹脂パーツの生産能力の高さを宣伝する材料としても、システム投資費用を抑えるためにも、システムの外販に取り組みたいと思う」

 「われわれのノウハウは当然流出するが、同時に同業のノウハウを積極的に吸収することもできる。厳しい海外市場で生き残るためには、ノウハウをどこよりも早く進化させる仕組みが必要である。このシステムの外販は、ノウハウの提供であるとともに、同業他社のノウハウを知り、進化の糧とする情報収集でもある」

 社長の意思表明は、「システム再構築という課題を起点として、過去の失敗を乗り越え、新しいビジネスへチャレンジする」という壮大なテーマであった。これまでコスト削減に貢献しない金食い虫と呼ばれた情報システム部門が、収益を上げる新規ビジネスにチャレンジすることになったのである。


 J社はこうしてクラウド基盤(PaaS)上に新しい生産管理システムを構築することとなった。開発のベースとして現行システムを利用し、実質的な開発作業は国内でクラウド基盤の開発実績があるH社が担った。このH社には、新システムが同業他社への提供を前提としたものであることを伝え、システム構築とその運用サポートのみならず、外販パートナーとしても協力を要請、快諾を得た。

 約1年後、バンコク工場の新システムが安定稼働を迎えた後に、H社はJ社に対して同業大手メーカーから強い引き合いがあったことを伝えた。大手メーカーとしても、各拠点に乱立するシステムの保守サポートコストの増大は、切実な課題となっていたのである。


クラウド活用は、次世代基幹系システム構築の1つの現実解

 J社のケースは、「クラウドを基幹系である生産管理システムとして採用することで、課題となっていたIT要員不足とコスト抑制を実現する」というものです。ただし、このためには、「国内工場で導入されているERPパッケージベースの生産管理システムと同等スペックのシステムを目指さない」という判断が必要となります。

 日本企業の多くは、高性能、高品質を追求することで成果を上げてきましたが、これは情報システムにおいても同様です。情報システム部門は、企業独自の考え方やノウハウを可能な限りシステムに取り込むことを最優先として推進してきました。これは間違いではありませんが、ビジネス環境が異なる海外拠点では、この考え方が足かせになるケースが数多く見られます

 例えば、ERPパッケージの導入においても、日本企業は現状業務への影響を最小限に抑えることを考えて、可能な限りカスタマイズを行い、現行管理帳票がそのまま使えるように多数の帳票やサポートを作成し、システムドキュメントもきめ細かく緻密に作成します。結果として、開発コストの半分以上がこうした作業に割り振られるケースもあります。

 これに対して、中国や新興アジア諸国の企業は、ERP導入に際し、コストパフォーマンスと短期導入を最優先として、追加開発する帳票やレポート類は最小限にとどめ、システム稼働後にどうしても必要になった場合のみ追加する、ドキュメント類は極力作らない、といった方針で取り組んでいます。どちらが良いというわけではありませんが、「どの程度のレベルであれば、業務遂行上問題がないのか」という判断で、割り切ってERPパッケージを利用しているため、日本よりもはるかにコストパフォーマンスが高いと言えるでしょう。

 本来、ERPパッケージが生まれた背景には、「オーダーメイドのシステムよりも、安価かつ短期に基幹システムを手に入れたい」という考え方がありました。この考え方は現在でも有効だと思いますが、昨今のコスト削減のトレンド、変化の早い市場環境とそうしたニーズを考え合わせると、多機能で重厚長大なERPパッケージは、その有効性を失いつつあると言えるのかもしれません。ERPがレガシー化している、と言っても良いでしょう。そうした背景がある中で、今回のケースは「ERPパッケージを検討した上で、ERPで培ったノウハウを活かしながらも、ERPパッケージを採用しないという判断もある」ことを示唆するものと言えます。

著者紹介

▼著者名 鍋野 敬一郎(なべの けいいちろう)

1989年に同志社大学工学部化学工学科(生化学研究室)卒業後、米国大手総合化学会社デュポン社の日本法人へ入社。農業用製品事業部に所属し事業部のマーケティング・広報を担当。1998年にERPベンダ最大手SAP社の日本法人SAPジャパンに転職し、マーケティング担当、広報担当、プリセールスコンサルタントを経験。アライアンス本部にて担当マネージャーとしてmySAP All-in-Oneソリューション(ERP導入テンプレート)を立ち上げた。2003年にSAPジャパンを退社し、現在はコンサルタントとしてERPの導入支援・提案活動に従事する。またERPやBPM、CPMなどのマーケティングやセミナー活動を行い、最近ではテクノブレーン株式会社が主催するキャリアラボラトリーでIT関連のセミナー講師も務める。


前のページへ 1|2       

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

注目のテーマ