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「撮影」の暴力化について考える小寺信良の現象試考(2/3 ページ)

» 2008年07月22日 10時30分 公開
[小寺信良,ITmedia]

人権としての肖像権

 肖像権に関しても、少し知っておいた方がいいだろう。日本には、肖像権を明確に規定した法律はない。しかし判例は多くあり、1つの「人権」という形で認められている。肖像権は人格権と財産権に分けられるが、財産権のほうは被写体として価値がある人、タレントなどの有名人に限られる権利だ。最近はパブリシティ権と言った方が、通りがいいかもしれない。

 普通の人に関係するのは人格権のほうで、これは無断で容姿を撮影、描写(スケッチなど)、公開されない権利がある、とされている。テレビではこれによって放送後に訴えられるリスクが増大したため、うかつに一般人の姿をそのまま放映することは無くなっていった。

 テレビ放送において、一般人が写るという行為に対する変遷も、参考になるかもしれない。筆者の記憶する限り、1970年代までのテレビ放送では、タレントやアナウンサーなど一部の限られた「出演者」が写るのみで、一般人が写るというのは公開収録の会場で客席が写されるぐらいのことであった。もちろん素人のど自慢やクイズ番組など、アマチュアが出演者になる番組もあったが、これは事前に厳しい審査があり、やることの制約も課せられる。まだこの時代はテレビに出ることが誇らしい時代であった。

 アマチュアのテレビ出演の敷居を大幅に下げたのは、コメディアンの萩本欽一氏の功績に寄るところが大きい。70年代中期から80年代前半にかけて一世を風靡した「欽ちゃんのドンとやってみよう!」を始めとする「欽ドン!」シリーズは、投稿はがきの採用や出演者に素人を持ち込むことで、「素人いじり」を大胆に取り入れたものであった。これによりどんな素人にもテレビカメラが向けられ、「テレビがお茶の間にやってくる」時代になったのである。当時もまだ、テレビカメラが向けられることの弊害は軽微で、多くの人が進んでテレビカメラの前に立った。

 筆者が放送業界に入ったのは83年のことだが、当時はまだ報道でも、「街の雑感」などのカットは人の顔が平気で写っていた。それを使うことは「あまり良くない」という雰囲気はあったものの、不特定多数が遠目で写っているぐらいなら、そのまま使われていたものである。

 雑感であっても人の顔は写らないように配慮するようになったのは、おそらく86〜7年ぐらいのことだったように思う。これに関してはNHKは別格で、もっと早くからこの問題に気づいていた。特にこれといった事件は記憶していないが、「欽ドン!」ブームが去って多くの人がテレビカメラをうとましく思うようになり、「肖像権」という概念が広く認知されてきた。公にはなっていないが、おそらくこの時期に一般人からのクレームや小さな訴訟はあったはずである。

 このことは、どこからが肖像権を主張できるか、言い直せば、当事者と一般人の線はどこか、という問題になる。肖像権の解釈では、特定の活動に自ら参加しているような状況は「舞台に立っている」ことと同義であり、取材として撮影される可能性は納得済みであると解釈される。しかしたまたま現場に居合わせたり、通りがかったり、あるいは不可抗力で巻き込まれたりしたような場合は、当事者ではなく一般人とされる。そうなって初めて、肖像権の人格権侵害が主張できる。

 では今の時代、ビデオカメラに撮られることは、自衛できるのだろうか。これは事前に撮影許可を求めてきたなら拒否することが可能だが、それ以外では難しい。そもそも、撮られたこと自体を気づかないケースもある。また防犯上必要があって設置されいるカメラの場合、写ることを拒否することは難しい。

 つまり撮るつもりはなくても写ってしまうということがあり得る以上、あらゆるカメラから撮られることを拒否するのは、透明マントでも発明しない限りほぼ不可能である。現実的な解としては、撮影された映像が何かに使用されるのを拒否するという方法をとるべきだ。

 しかし肖像権の侵害は、事前にわかることはまずあり得ない。広く公開したあとになって写っていたことがわかり、問題が顕示化するからである。では匿名発信により訴訟のリスクが回避できるならば、やったもん勝ちか。

 残念ながらそんな勝手が許されるほど、日本のネットは甘くはないようだ。行動に問題があれば確実に炎上し、場合によっては実名がさらされ、社会的な抹殺が行なわれることになる。これは情報発信者が匿名であればあるほど、起こり得る転覆である。筆者としてはそれを肯定するわけではないが、現実としてそれらの行為がなんらかの抑止効果をもたらすまで、あと少しではないかと感じている。これはこれで、非常に激しい痛みを伴う監視社会の誕生であろう。

 そんなことになる前に、自分のしている行為は報道や表現者としての責任が取れるか、ということを自問してみればいい。少し考えてみれば、うかつにプロのまねごとをすると、とても個人では賠償しきれない、取り返すことすらもできない過ちとなる可能性があるという答えが出てくる。

 無関係な不特定多数の人間が写っているシーンをネットで誰からでも見られる状態で公開する予定ならば、まず顔が写らないように撮影すべきである。また顔が写った場合は、モザイクなどの処理をすべきである。情報発信者には「一般人の顔を撮影して広く公開する権利」がないだけでなく、被写体となる一般人は「無断で顔を公開されない権利」を持っていることに注意しなければならない。

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