「1985年にナムコ本社が大田区矢口に移転することになったとき、中村雅哉社長(当時)から、ナムコの受付は当然ロボットだろって言われたんですけど、よくよく聞いてみると4カ月で作らないといけなくて……」と、佐々木さんは当時を振り返る。
なぜゲーム会社のナムコがロボットを? しかも、たった4カ月で完成できるの? と、早くも疑問でいっぱいの読者もいると思うので、まずはナムコの歴史をひもといていきたい。ナムコの前身である中村製作所は、1955年に百貨店屋上に木馬2台を設置するところから事業をスタートしている。昔、遊園地やデパートの屋上で見かけたパンダの乗り物を思い浮かべてほしい。
ナムコといえば「ゼビウス」「パックマン」などビデオゲームのイメージが強いが、「エレメカ」(体感型のアミューズメント機器)と呼ばれるアーケードゲームを多数手がけている。「ワニワニパニック」や「コズモギャングズ」、潜望鏡をのぞいて魚雷を撃つ「サブマリン」などは、知っている人も多いだろう。
1980年代、そんな“エレメカのナムコ”に早くもロボットブームが到来した。1980年は原子力ロボット「アトマ」、1981年は迷路脱出ロボット「マッピー」と次々にロボットを開発。1985年の国際科学技術博覧会(つくば科学万博’85)に向けてロボットプロジェクトチームを作るなど、中村社長主導でロボット事業に注力した。
佐々木さんは「ナムコは未来という言葉が好きなんです。その象徴がロボットで、ゲームのノウハウでロボットを作れるんじゃないかという壮大な夢を描いていました。時代を先取りしすぎましたね(笑)」と笑顔を見せる。ゲームスペース「ミライヤ」にオリジナルビデオ「未来忍者 慶雲機忍外伝」「バンダイナムコ未来研究所」。確かにナムコは未来にあふれている。
結局つくば博でロボット館を設立するという当初の夢はかなわなかったが、つくば博のマスコットロボット「コスモ星丸」の開発・提供、博覧会内の遊園地事業の運営という大役を担い、ナムコのロボットプロジェクトはいったん幕を閉じた。
そのタイミングで生まれた受付小町はナムコのロボット事業の集大成とでもいうべき存在だが、たった4カ月でゼロから作り上げるのは至難の業。そのとき、佐々木さんはとあるロボットを思い出したという。
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