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パナソニック100周年記念! 「松下幸之助 歴史館」に行ってきた(1/5 ページ)

» 2017年09月17日 06時00分 公開
[滝田勝紀ITmedia]

 パナソニックは、2018年に創業100周年を迎える。8月24日には“これからの100年”に向けた所信表明を行うとともに新しいエアコン、ドラム式洗濯機、ロボット掃除機の新製品を発表した(→関連記事)。多様化する生活スタイルに対応し、IoT(Internet of things)などの技術トレンドを取り入れたラインアップだ。

 もっとも、新しい技術の導入は、あくまでも世の中のニーズに応える手段だ。変化を続ける暮らしに常に寄り添う家電を作ること。同社の創業から一貫した考え方であり、時代と手段が変わっても根本は変わらない。

“これからの100年”へ向けた発表会にてお披露目された、ななめドラム洗濯乾燥機「Cuble」(参考出品)、ロボット掃除機「RULO MC-RS800」、ルームエアコン「Eolia CS-WX408C2」などは「Creative! Selection」と銘打ち、組み合わせることで快適な生活を提案する。それぞれIoT製品として開発されている

 今や、いち家電メーカーという枠を超え、グローバル企業にまで大きくなったパナソニックだが、最初は小さな会社だった。23歳の松下幸之助、22歳の妻、むめの、15歳の義弟、井植歳男、若い3人だけの「松下電気器具製作所」だ。今回は、そんなパナソニックがどのようなものを作り、社会へと貢献しながら成長してきたのか、パナソニック“これまでの100年”から築き上げられた礎を探るべく、大阪は門真市にあるパナソニック本社に隣接するパナソニックミュージアム「松下幸之助 歴史館」を訪ねた。

パナソニックミュージアム「松下幸之助 歴史館」
「松下幸之助 歴史館」のエントランスにはその生涯を表した年表がお出迎え
松下幸之助氏

 和歌山県で8人兄弟の三男として生まれた松下幸之助は、裕福だった家庭に生まれたものの、父が米相場に手を出し失敗。9歳の頃に小学校を中退し、大阪の商家に丁稚奉公に出された。そこで実業を学んだ幸之助は、10代の頃に電気に将来性を感じ、後にソケットの販売を開始。1918年に「松下電気器具製作所」を創設した。数え切れないほどの名言を残し、“経営の神様”と呼ばれる日本を代表する実業家となる。

創業から第二次世界大戦まで

改良アタッチメントプラグ(1918年)

 「松下電気器具製作所」の最初の製品。便利で品質の良い配線器具に需要があるとみて開発に着手したのが改良アタッチメントプラグだ。当時から常に通電していた電球の口金を再利用する形で、低価格で精度の高いプラグを開発。「便利で品質の良い配線器具を作れば、一般の家庭にいくらでも需要がある」と強い確信を持っていたという松下幸之助。その言葉通り、一般の製品より品質が良く、価格も3〜5割安かったため、評判となりよく売れたという。

2灯用クラスター(1920年)

 今とは比較にならないほど脆弱な家庭内の電力事情。照明のソケットを家電で使用すると、その間は照明が使えなくなるという不便さを解消するため、照明と電化製品を同時に使うための二股ソケットを製品化。使いやすさや丈夫さ、手頃な価格から人気を博した。

砲弾型電池式ランプ(1923年)

 ローソクや石油ランプの不便を解消すべく、夜間でも気軽に自転車に乗れるよう、バッテリー式のランプを考案。当時も類似製品はあったものの、それらと比較して電池寿命が10倍以上、30〜40時間も長く使えるという画期的な新製品だったのが砲弾型電池式ランプだ。それでも最初は1個も売れず苦戦したが、販売店に無償で使ってもらうという思い切った宣伝方法から話題となり、結果として人気商品となる。

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