なお、日本の多くの会社の成果主義がインセンティブの仕組みとして不十分だったのは、成果主義を人件費抑制の手段としても使ったこと、経営茶坊主が現場の成果に対して大きな報酬を払うことに“ヤキモチ”を焼くことに(「あの案件は、彼個人の力ではなく、ウチの会社の名前があってできたことだ」などという理屈を言う)、大きな理由がある。
こうした「陰気な成果主義」に対して、典型的には外資系の会社でよく用いられる、各部署に人事権(採用、解雇、査定の三権をすべて渡さないと不十分だ)を渡して、その代わり「稼ぎ」(この尺度の決め方が重要になるが)には、基本的にそれに応じた(単純には比例的に)報酬を払うというシステムなら、個々の現場が、状況の変化に対応して、しかも、チャンスを残らずものにしようというインセンティブを持って、仕事に当たることができる。すべてが理想的に機能するわけではないが、環境に対する対応は柔軟だ。
この種のシステムでは、個人に対する報酬の格差が大きなものになることがあるが、基本的な思想として「アイツが多額のボーナスをもらうのは正直うらやましい。しかし、会社に多くのもうけをもたらしたのだから喜ばしい。もっと稼いでくれるなら、ボーナスはもっと払ってもいいではないか」という考え方が根底にある。筆者は、こうした仕組みを「陽気な成果主義」と呼んでいる。
情報処理の仕組みとして2つの制度を見ると、「陰気な成果主義」は中央集権的で硬直的だが、「陽気な成果主義は」分散処理的なシステムなので現場の環境変化に強い。また、インセンティブの仕組みとしても強力に機能するので、競争の激しいマーケットでの局地戦には強い。
はっきり言うと、「陽気な成果主義」こそが本来の成果主義であり、「陰気な成果主義」は成果主義ではない。数年前の成果主義論争は、本物の成果主義を対象にしていない議論だった、というのが筆者の意見だ。
「陰気な成果主義」は、外資系のある人事コンサルティング会社が日本企業に売り込んだものだが、購買の決定力を持つ実質的顧客を「経営茶坊主」たちだと見定めて、彼らに適合したプロダクトを作って売り込んだマーケティングの成功例としては大いに研究の価値があると思う。
一方、「陽気な成果主義」にも重大な弱点はある。この点については、機会を改めて論じることにしよう。
→荒稼ぎして“逃げた”輩たち――陽気な成果主義が招いた罪とは?(後編)
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