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「ニコ動作家はもうけちゃダメ?」「才能、無駄遣いしていいの?」座談会 UGCの可能性を考える(前編)(4/4 ページ)

» 2008年07月18日 12時59分 公開
[大塚純,ITmedia]
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――ニコニコ動画などでは、よく「才能の無駄遣い」というタグが使われていますが、あの言葉はどう思われますか? 才能を無駄遣いしてしまっていいのでしょうか? 無駄遣いによって、才能が燃え尽きてしまうこともありそうですが。

吉川 才能の無駄遣いというのはほめ言葉ですからね、ニコニコ動画の場合。

津田 でもね、それは表裏一体だと思いますよ、嫌儲と。要するに、才能がそんなにあるのなら、それをきちんと現実のクリエイティブなプロダクトを作ることに費やしたら、金稼げるぐらい才能があるということじゃないですか。その才能をあえて無駄遣いしているからかっこいいという。

 ただ、それと同時に思うのは、プロが金にならないことを一所懸命やるのって楽しいんですよ。それがたぶん、ニコニコ動画にある明らかにクオリティの高過ぎる動画にはあるんじゃないかな。プロとかセミプロみたいな人が、ものすごく本気出して、本来だったら金とることを、タダで本気出してやるというのが楽しい。お金じゃなくて、自分の作ったものでみんな喜んでくれる方が楽しいみたいな。クリエイターにとって、時にはそういう表現に対する承認欲求がお金以上に重要だったりする。その2点が、この才能の無駄遣いにはある気がします。

栗原 そもそも才能の無駄遣いのタグが付いている作品って、実はプロがやってるケースが多そうですよね。本当にやりたいことを、ちょっとこっそりやってみるというような。そういう話は昔から結構あって、例えばジャズの世界だと、10人ぐらいしか客のいないライブハウスに、グラミー賞も受賞したことがあるアーティストのパット・メセニーがいきなりやって来て、ノーギャラで演奏していったとか。それはUGCに限った話ではなくて、クリエイターとしての本能というか、根本的欲求じゃないのかなという気がするんですけれど。

才能がある人は無駄遣いしても燃え尽きない

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太田 あとは、すごく才能があれば、いくら無駄遣いしても大丈夫なんじゃないかというのもありますね。例えば、大竹伸朗さんが東京都現代美術館でやった回顧展を見たんですけれど、もう信じられないぐらいに膨大な作品数なんですよ。だから、いくらやっても、それで才能が燃え尽きるようだったら、それまでと(笑)。

一同 (笑)

吉川 そういう発表の場があることはいいですよね。だから、プロになった人でも次への冒険や、ちょっとした遊びが出来る場があり、また、プロになりたい人が燃え尽きるほど投入できる場がある。場はたくさんあったほうがいいわけだし、逆に用意してあげないと次のプロが育たない。個別には燃え尽きるかもしれないけれど、全体としては燃え尽きないはずだから、燃え尽きない人がそこで成り上がっていく。

津田 場の自然淘汰として。

吉川 そう、それでいいような。個々別々での淘汰は仕方ないような気がしますよね。

プロが無償で仕事してもいいじゃない

津田 この話って職業クリエイターが兼業になるのか、それとも専業でやるのかということでもあると思うんですよ。今までプロのクリエイターは専業が当たり前だったし、それがプライドであり、かっこいいことだというところがあったと思うんですけれど。「ま、兼業でもいいんじゃないの?」という選択肢が、ニコニコ動画で示されているのかな。

吉川 ただ、そちら方面の話だと、「プロのくせに金取らないで出しやがって」という、今度は逆の批判があったりするじゃないですか。

津田 そういう“才能の南北問題”的な論議ってありますよね。

吉川 それはそれでしようがないと思うんですけれど、何かね……。

栗原 まぁ、その話はなんとなく、マナーというか、そういうことのような気がしますけれど。

津田 あの批判は的外れだと思いますね。例えば、佐野元春というミュージシャンは、もう十分にエスタブリッシュされたミュージシャンですけれど、「9.11」の事件が起きたときに彼は「何かやんなきゃいけない」と思って、アーティストとしてのメッセージを歌にしてMP3で即座に公開したんですよ。そこで契約とか、著作権なんかの色んな問題はあったけれども、クリエイターが何か出したいと思ったとき、その動機になるのはお金だけじゃなくて当然だと思いますね。アーティストの自由でいいでしょっていう。

吉川 医者が、地震が起きたら普段の仕事を投げ出してボランティアに行くのと、ある意味同じですよね。医者なのになぜ無償でボランティアへ行くんだと、普通は問われない。それがネットだと、変な方向へどんどんいってしまう。

津田 極論が極論を呼ぶみたいなところがありますからね。

吉川 すごく両極端が目立ってしまうんですよね、声が大きいだけで……。

「なんとかP」の時代 匿名の楽しさも

津田 まさに栗原さんも、コンサルタントや弁理士などさまざまな仕事をなさっている。今そういう人がすごく増えているような気がするんですよね。本業が何かというのが分からない時代になってきてるのかな。

栗原 それはあるでしょうね。

津田 僕自身もそうなんですよ。本当に本業が何かって価値観は変わりましたよね。

栗原 ニコニコ動画ですごい作品を発表している人だって、本職はまた違うのかもしれない。「なんとかP」という言い方(ニコニコ動画で使われるニックネームで、「THE IDOLM@STER」や初音ミク関連の動画を作る人に付けられる。「わかむらP」「ワンカップP」など)も非常にあれですよね、微妙な匿名感が(笑)。さっきのクリエイティブ・コモンズの「BY」の例でもありましたけど、匿名性って、なんとなく日本独自っぽいところがすごくあって、個人的にはあまり好きじゃないんですけれどね。

津田 その「なんとかP」というぐらいの、それぐらいの匿名性なんでしょうね。おそらく、ちょっと黒幕でいたいみたいなところが。

栗原 だけどあるのかな、そういうのって……。普通の音楽の世界でも変名を使いたがる人は多いですよね。まぁ、契約の関係もあるのかもしれないですけど。

太田 そうですね、そういう理由も大いにあるし、あとは、自分でやっているものと違うことができるというのはありますよね。このラインで、このアーティストのイメージだと、やっぱりこういう枠でというのがどうしてもありますから。そうじゃないところでやれる自由度というか。

吉川 本の世界でもありますからね、日ごろと違うペンネームで別の分野の本を書くというのが。

津田 プロの漫画家がね、コミケでは、商業作品で出版した同じ作品の違う結末を書いて出したりすることもあるんですよ。あと、連載作品とはちょっと違うものを書いたりとか。編集の方向や出版社の意向で自分には不本意だったものを書き直すとか、あとは裏話を書いたりとか、そういうのも出てますよね。

太田 そういうのはやっぱり楽しいらしいですよ(笑)。自分の枠の中で、自分のアーティスト名だと、ここまでしかやれない、こういう風にしかやれない。だけど、違う人に曲を提供する場合は禁じ手みたいなものを使えるから楽しいんだと言ってる作家の人もいますから。

津田 奥田民生なんてまさにそうですよね。PUFFYで曲作るときは、今回はELOとか、次はビートルズのオマージュやろうみたいな。

太田 それにしても匿名って、もともと何かあるんですかね。新聞記者の記名記事にしても今はずいぶん増えてきましたけれど、昔はなかったじゃないですか。だから、構造的に何かあるのかな……。

吉川 やっぱり、日本は出る杭は打たれる文化ですからね。島国文化ですから……。

→後編に続く(7月22日掲載)

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