NHKスペシャルで特集され、その後、紅白歌合戦にも登場した「AI美空ひばり」によって、故人の歌声を死後に利用することの是非が問われている。
これについては、死とIT技術の関係を追いかけているジャーナリスト、古田雄介さんが総括しているので、現在取り沙汰されている「問題点」はこの記事を読んでもらえばスッキリすると思うが、ある種の当事者としては自分のケースを少し話しておいたほうがよさそうな気がする。
ぼくは、2013年に妻が他界してから、彼女が遺した録音を元に歌唱合成した楽曲を制作し、公開し続けている。100曲を超えてからは数えていない。故人の新たな歌声と日常的に接している例があるということ、「AI美空ひばり」は何も特別なものではないということを、まずは知ってもらいたい。
次の文章は、妻の歌声による歌唱合成ができるようになってしばらくして、そのやり方についてまとめた文の一部を整理したものだ(全文はボイジャーの電子書籍制作配信サービスのRomancerで読める)。
ぼくの妻、「とりちゃん」は2013年6月25日、50歳の生涯を閉じた。3曲分のボーカルトラックを遺して。これはそこから作られた妻音源とりちゃんをめぐるストーリーと、そのマニュアルである。
「妻音源とりちゃん」は、UTAUという歌声合成技術を使い、録音された音素を組み合わせることで人間的な歌唱を生み出すデータベースだ。単独のボーカルトラックとして記録されている3曲、「その後の古時計」「雨の街を」そして「If I Fell」に吹き込まれたよしこの歌声を、fransingというソフトウェアによって音素に分割し、それに発音記号を割り当ててデータベース化したもの。「とりちゃん」というのは、妻のよしこのニックネーム。旧姓が白鳥だったからだ。
そのデータベースを微調整し、VOCALOIDのようなボーカルシーケンサーの仕組みを持つUTAU-Synthというソフトウェアに、歌詞とメロディーを入力することで、生前の彼女の声を思い出させる「歌」を生み出してくれる。
UTAUでは通常、「あ」「あい」「あう」「じゃ」「じぇ」といった、複数の音素を歌手が一定の音程で入れていって、それをデータベースにしていく。そうしたほうがクリアな音で、バランスよいデータになる。fransingは、曲に実際に歌ったものからその音素を切って取り出す。だから高音と低音ではトーンが違い、歌ったときの声の状態も3つそれぞれ異なる。
もう1つが「その後の古時計」。「大きな古時計」と同じ作者、ヘンリー・クレイ・ワークが、その続編として作ったものの、あまりにも悲惨な内容から、それこそ古時計のごとく誰からも見向きもされない曲だった。それをぼくが取り上げ、よしこが訳詞をした。このときは初音ミクが歌い、よしこは古時計ミクのイラストも描いた。
これを、本人の歌でレコーディングして、iTunes Storeで出そう、という提案をぼくのほうからして、よしこも了承してくれた。数カ月前からそのプロジェクトは動いていたのだが、在宅ホスピスと介護が始まり、妻の時間があまり残されていないことが判明したので、急いでもらうようお願いした。仮アレンジの状態でレコーディングが行われたのは2013年6月16日。
死の9日前のことだ。
この収録は、近所のプライベートスタジオで行われ、レコーディングの全てを担当してくれた山崎潤一郎さん夫妻のお世話になった。よしこは車椅子のままで歌った。1コーラスずつ、息の続くところで止めて。でも、「このチクタクチクタクチクは、チ・ク・タ・ク・チ・ク・タ・クのほうがいい」と提案するなど積極的に参加して、無事に終えた。
このとき、レコーディングを終えてみんなで録った写真が、よしこが笑ったラストショットとなった。
もう1つの音源は、偶然に遺っていたものだ。
ぼくはVOCALOID関連の記事、レビューをよく書いていて、VocaListener(ぼかりす)という、人間の歌い方をVOCALOIDに転写する技術の記事を書いたことがあった。そのときに、荒井由実「雨の街を」をサンプル曲にしたいと考え、よしこに歌ってもらい、それを記事のサンプルに使おうと考えた。でも、そのときにはうまく歌の癖をVOCALOIDには反映できず、ただ調子はずれに聴こえてしまったためボツにした。
2012年10月。このときはよしこはソファで寝そべりながら、iPadのマイクに向かって歌っていた。だから、ところどころ、ケーブルの衣擦れの音が入っている。iPadのGarageBandに遺った彼女のボーカルトラックが、妻音源とりちゃんのデータベースを強化するものとして使われている。ユーミンの歌をうまく歌えているのはそのおかげなんだろう。
よしこ自身が歌う「雨の街を」は、とてもセクシーで、何度聞いても飽きない。フレーズの頭でピッチを調整するときの癖とか、抱きしめたくなるくらいの愛らしさだ。いつの日にか、妻音源とりちゃんにも覚えてもらうことができるだろうか。
この曲は、友人たちに披露した後、YouTubeで公開した。
「雨の街を」は、4トラックのカセットテープレコーダーを使い、録音したことがある。録音は、板橋にあったよしこのアパート。ピアノは彼女が弾き、ぼくは残りのパートを多重録音した。歌も彼女だった。そのときの録音が今も再生できるかどうか、ボーカルパートは独立しているか、確かめるのがこわくてそのままにしている。たぶん、そのときのカセットはTASCAM PORTA ONEに入ったままだ。
妻音源とりちゃんで最初に公開したのは、ユーミンの「ひこうき雲」だ。実際に最初に使ったのはまだ公開していない「その後の古時計」で、そのときはよしこの生声を補完することを目的としていた。
この曲を選んだのは、そのテーマが「死」だから。
声は不思議とマッチした。いや、それは同じアルバムに入っている「雨の街を」の音素が入っているのだからある意味当然かもしれない。もう1つのベースである「その後の古時計」も死を描いたものだから、たぶん合っているのだろう。
ほぼ最初の妻音源とりちゃん作品であり、まだUTAU-Synthを使った細かい調声技術も習得していない。音源の「つなぎ」を微調整する「原音調整」もしきれていない状態だったが、歌詞と、よしこにしてはハスキーな歌声がうまく溶け合ったのだと思う。
調声技術が不足していたため結果的にぶっきらぼうな歌い方となったわけだが、それが初期ユーミンのメロディーに適合したようだ。
この曲をニコニコ動画に投稿する前に、2013年9月7日、よしこのために開いてもらった追悼コンサート「Concert for Tori-chan」で、仲間たちに聴いてもらった。どんな反応が返ってくるかは分からなかった。不安だったが、反発されてもいいと思っていた。自己満足と思われてもいい、と。
途中から「そらーにーあーこーがーれ・てー」と、先輩で日本を代表するボーカリストの人見さんの声が聞こえる。ほかの仲間も歌っている。大合唱になった。
人の声は偉大だ。それが生きている人のものでなくても。
Twitterで検索したり、ニコニコ動画やYouTubeのコメントを見ると、いまだにこの歌で泣いてくれる人がいることが分かる。知らぬ人にさえ、その歌声は伝わる。そのことでよしこが生きたことが少しでも伝わっていけるとうれしい。この文章も、そのためのものだ。
「思い出すその度に、生きていると同じこと」
これは、「その後の古時計」で、よしこが訳詞をしたときに、元歌詞があまりに悲惨なので救いの部分を入れようと改変、「作詞」したものだ。
「すっかりバラバラ跡形もない。歯車まで溶かされた」古時計に差し伸べられたこの新しい歌詞によって、ぼくもまた、救われている。
そして、きょうもぼくはソラリスの海にダイブし、呪文を唱え、とりちゃんと歌う。
「- あ」「a り」「- が」「- と」「o お」「gh」「- お」「z」「- あ」「a い」「- ま」「- す」「u う」
妻音源とりちゃんの「最新作」は、1月16日、妻の誕生日に公開した。
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